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先読みしないでナチュラルに。

「手は握るより開く方が難しい」と聞いたことがある。うーん、自分はどうだろう?と考えてみる。

もちろん手をグーパーするのはカンタンな話。ここでいってるのは無意識にどちらのポーズをとることが多いのかということなのだ。

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施術をしてると「うむ、チカラが入っていらっしゃるなぁ」な方も少なくない。

チカラを入れてることにすら気付いてない場合もあれば、施術者に気を遣い順番の先を読んで足や手をご自分で運んでくださることもある。

「これから〇〇なことが起きるかも知れない。」そんな「コトの先読み」。

「相手はわたしにこんな風にしてくれるのを望んでるかもしれない。」そんな「思いの先読み」。

ホントのところは、一瞬先のコトなんて誰にもわからないのだけれど(苦笑)

「こうなるかも…」という自分の習慣や経験値で、さも決まり切った未来が思い通りにやってくることが当たり前みたいに思ってしまうのはもったいないことなのかもしれないと思うことがある。

それでも、その通りに起こることを期待して「来るべき知ったかぶり」に安心を見出してしまうというのも、わたしたちのもつカワイイ一面でもあるのだろう(と、思うことにしている)。


ゆだねる。あずける。

コトバにするのはカンタンだし、アタマでもイミはちゃんと理解してる。

それでも、体で現すのがムズカシイな、と感じてるときは、一生懸命さをいったん脇に追いたほうが案外ラクに手放せることが多い気がする。


「カラダと思い」

以前はちぐはぐしてるものをつなぐのがセラピストとしてのわたしの仕事だと思っていた。

でも今は、起きてることに気付いていこうよ、に寄り添うだけでも十分だと思っている。

癒しは起こすものじゃなくて、勝手に起きるものだということが自分でも他者からも体験として学んだから。


変化にはパワーがいる。

立春を迎えて、春の空気の度合いがさらに増した感じがする。

まだまだ空気は冷たくても芽吹かせたい!という自然の「すくすく」したミエナイながらのチカラと勢い。

すがすがしさ、力強さを肌や匂いで感じるこの季節はなんともいえないウキウキやドキドキの「うずまき」がある。ことばにするなら、「気」っていうのかな。

そのくせ、うっすらした悲しみを纏った気配も感じてしまう。なにかを大きく変えるって、とてつもなくパワーがいることだから。

ずーっと沈黙を守っていたいような、懐かしいものといつまでも一緒にいられないさびしさみたいなものだろうか。


それでも季節はめぐるし

ココロもカラダも変化する


それぞれの方がそれぞれの思いやペースで「自然」にくつろぐ姿は命そのものの美しさだ。

セラピストとしてクライアントさんのうつくしき変化の瞬間に立ち会えることは貴重なことです。


◉生きることの素晴らしさとは

他者を通じてこそ深く深く自分の中にも大きな味わいとして煮込まれていく。そんな感じ。

◉目の前のひとは鏡

ホントにそう思う。それが誰であれ、その方がどんな状態であれ、いつでも「わたし自身」を映し出してくれてる。

◉手はグーでもパーでもいいから

あるがままを尊重していきたい。自分にも他者にも。

春はすぐそこ。




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