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わたしは生き方を選んでいいんだ

昨日から、スマホをタンスの引き出しの中に入れることにしました。

掃除の際、床で充電していたi-Phoneが邪魔だったので、ちょっとごめんよと近くのクローゼットの中にポンと置きました。その後、スマホの存在に気づいたのは、上に羽織るものをとクローゼットを開けた時。つまり、3時間ほどスマホを手にしない時間があったということになります。

目につかない場所にスマホを置くって、今まで考えたことがありませんでした。そもそも、携帯できる・手元に置いておける・即座に利用できることがメリットなのです。充電する時以外は、どこに置いたかを意識するようにしていました。

近くに置いておこうという姿勢は、ある意味わたしの優しさでもあります。必要な連絡になるべく(早めに)対応したいという思いからですが(かといって、そんなに頻繁に連絡もないw)その思いが時に不必要にスマホを使ってしまう悪癖や習慣をつけていたともいえます。

そうでもなくても、浮かんでくる思考に無意識に従って生きている私たちは、気になることがあれば即座に答えをくれるスマホが便利でしょうがない。手持ち無沙汰なときは、今やらなくてもいい行動(調べモノとか)をすることで、今という退屈さから逃避しようとしてしまうのです。

退屈も楽しいもなく。今ここにある今って、それ以上でも以下でもなく、今でしかありえない。その今から逃れるってどういうこと?と私も頭では気づいてますよ(笑)それでも、スマホを手に取ってしまう自分がいる。これも現実、それが今、まさに起きているということ。まず、そこを抑えよう。

そしてその現実をスルーせず、手に取ってしまう自分への嫌悪感にも逆らわずに。スマホとの付き合い方を見直してみたいと思いました。そして、スマホとの付き合い方の先にある、人との関わり方も少し変えてみたいと思ってます。スマホをタンスの引き出しに入れたのはこういう経緯があったんです。

連絡はいつもらってもいいし、真摯に返事もしたい。けど、レスポンスに早さを自らに強いるのはやめよう。お待たせしない程度に私の心地よいタイミングでお返事することが双方にいいエネルギーのやりとりを生むと考えてます。

クイックレスポンスに「信頼」を勝手にイミ付していたわたしは、この思いを相手に投影し、きっと相手も私からの“なる早”な返事を望んでいるに違いないと思い込んでいたものでした。ですのでどんなメールをいただいても“急かされてる感”を見出してしまうことで、とたんにそわそわしてしまうのです。

状況によっては即座に返せない時もあれば、そういう気分じゃない時もある。ホントはやりたくないけど...と思いながら返事をすることが多かったのですが、考え方をかえました。失礼にならない程度に自分がしたいようにメールと関わっていけばいいのですね。

なので、スマホとの付き合い方も選ぼうと思えるようになったのだと思います。わたしなりに心地よいスマホとの距離間を保つことで、より良いヒトやモノとの関係性を構築していきたい。

〜べき、の発想は苦しみを生みます。その〜べき、止めてみたら案外続ける意味や価値がなかったことに気付けるかもしれませんよ。引きこもり生活の中でも、毎日たくさんの気づきや出会いがあります。今日もありがとう。




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