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すこやかさの真ん中を探して。

体調を崩すときは例外なく何かをやり過ぎてるか、もしくは何かが足りていないときです。言い換えれば、本来ならあえて意図せずともいつも「そこ」にある「調和」みたいなものが崩れてしまっているような感じ。

実はこのところ読書にまみれたい欲に溺れてKindleを読み耽っていました。目を酷使しすぎたのでしょうね。そこからは坂道を転がるおむすびみたいに体調が悪化していきました。

目の奥の硬さや重さは感じていたのです。それでも読みたくて(!)。体の疲れが重なった時に、吐き気と頭痛に襲われ、気づいた時にはどうしようもない状況に陥ってました。

そもそも、前回のnote後にこのことについて書きたい!と思っていたテーマがあったのですが、関連の書籍をどんどん発掘してしまい(恐るべしAmazonのAI技術!)気づいたら読書の沼にハマっていたというワケです。

もちろん体調不良は体からのSOSとは言えますが、わたしがいつも思うのは心の部分からも何かしらのサインも加味されて体に異変をもたらすのではないのかな?ということなのです。

そこで思い当たるのが、インプットとアウトプットの関係性です。


今回の読書の件で言うならば。
本を読むことで自分なりに感じたこと、学んだことなどが誰しもあると思うのですが。そのあたりを読みっぱなしにしておくと思いが澱のように心の底辺に沈澱していくような感覚になることが個人的にはありまして。

言葉にならない、けど、ちゃんと感じてるんだよね、な部分に自分なりにフォーカスしてみる。さらに、あえて言葉にしてあげる、というアウトプットの作業をしてあげて、知識なり感情なり経験なりの出し⇄入れをしてあげて、一連の流れが完結するような気がしています。

読むだけだと一方向だけの動作になるので、エネルギー的にもやはりバランスが悪い(気がします)。そのぶん、澱もどんどん溜まっていくばかりですし。そこで必要になってくるのが、感情や思考面での整理整頓というわけ。

忘れていいもの、取っておきたいものを精査していくような分別作業を自分なりに納得できるカタチでしてあげると、精神的な部分での未消化状態を避けられるのではないかなと考えているのですが、皆さんはどのようにされているのか興味があるところです。



感情や思考の未消化「食べ物と排泄」にも置き換えられる

食べたものは食道を通り、まずは胃に入りますね。栄養吸収をしやすい形にするために細かく消化する必要があるわけです。小腸で栄養を取り入れ、不要な部分は大腸で水分を吸収され、最終的には便となって排泄されます。

読みっぱなし作業(感情や思考の混沌状態)って、どっぷり大きな食べ物の塊をいつまでもお腹(胃)に溜め込んでおく感じに似てる気がします。


時間の経過とともに消化できればよいのかもしれないのですが。
個人的に思い入れの強い思いや自分なりに飲み下したいモノって、なぜかスーッと下に降りて行かない感じがします。

もっと気づいて!もっと考えてみて!って言われているような(とはいえ実は自分がこだわっているのだけど)気がして、もっと細かく咀嚼してからじゃないと次のステップに進みたくないような足止め感があるんです。

それを、気のせいとか、そのうちなんとかなるかとお気楽に放っておくと、どうしても胃もたれのような膨満感というか、気持ちの消化不良につながる気がしてしまう。

考えすぎでしょうか?

今回の体調不良、実は胃の不快感から始まってました。最初はただの食べ過ぎ?コーヒーの飲み過ぎ?などとよくある自分の不調サインに当てはめては見たものの。よくよく考えてみてると、何かを過剰に求めたり摂取したりするときほど、消化が追いついていない体や心の状態にぶち当たります。(逆にいうと、自分への配慮が足りないとも言えますね)

しかもそんな時に限ってお腹が空いてないのに時間がくると「さぁ食べよう」と反射的にモノを口に入れているような機械的な動作をしていた自分を思い出すのです。

「いただきます」は生命をいただく尊い言葉なのに。よくなかったな、最近のわたし。。と自戒の意味も込めて今日は書いてます。


相変わらず、食欲はイマイチですが。もしかしたら、少し食べる量を減らすことで体もバランスを取りたがっているのかもしれません。胃が空っぽになると、体がリセットされます。もう一度、ゼロから体と心を作り変えてみない?との神様からのお誘いと思って、素直に受け止めたいです。

そうそう、体にも変化がありました。最近、まとまりの悪かった髪がすごく調子が良いのです。肌も乾燥気味だったのが(不調の時は土気色でしたが)今では逆にしっとりしてちょうど良いです。

不調は自分のバランスの偏りを教えてくれる

体や心の学びを始める前までは、不調は敵視して然るべきものと思っていました。が、今では違います。

健康でいられるならそれに越したことはないですが、不調は少しでも針が左右のどちらかに振れることで中庸からズレてるよを教えてくれるバロメーター。

不調が不調として感じられる、ということはある意味健康だからこそ気づけるのです。


体が本来の機能を発動しているからこそ、防御反応としての痛みや不快症状が出るわけで、調子の変化に気づけなかったり、気づけないまま放置しておくことが病気の始まりです。

不調に気づけること、不調をそのままにしないこと。

「入れたら出す」「出したら入れる」のバランスをとりながら、エネルギーとしての動きを偏ることなく循環させていくこと。

ここが、体と心の健康の肝だと考えます。



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