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成長

昨日カウンセリングのなかで心理士さんが「依存先を増やすと良いですよ」と言ってくださって、すこし考えた。

つい2年ほど前までは、職場とインターネットだけに依存していた。目に見えないものが大事と頭では分かっていながら、目に見える成果や役職、それから画面のなかに依存して、どうにか自分を保っていた。

ここ1、2年で、note以外のSNSをすべて辞めた。すると、不思議と現実世界が広がった。
いずれも躁状態で増やしたコミュニティとはいえ、やりすぎると飽き、すべてを辞めてしまうわたしだから、広く浅く、知っている場所がたくさんあるという状況が実は性に合っているのかもしれない。つまり一つ辞めても、まだ行ける場所がある、ということ。なんなら今後も仕事はふたつくらいしていたほうが良いのかもしれない。

こうして書いていて気づいたが、数年前までのわたしは、とにかく弱さを見せるのが(今も苦手だけど、もっと)苦手だった。クリニックで本当のことを言わなかったり、もう死のうと思ってなんとか病院へ行ったのに、言えずに睡眠薬だけもらって帰ったり(そのあとODした)。職場でも、友人にも助けを求めず、人前でも泣かなかった。ただ悶々と考え、インターネットを眺める。仕事を休むことさえできなかった。

そしてひとつの場所に、真面目に、長く留まることが正義だと頭のどこかでずっと思っていた。それができない自分はダメなんだと。けれど自分と、大事な人がその生活を幸せと思えるなら、そんなこと、実はどうでも良いのかもしれない。

言わずとも、気づいてくれるなんてことは、この世界では起こらない。今そばにいてくれる人、友人、職場に、弱さを見せた。こういう人間なんです、と話した。すると不思議と関係が深まった。ドクターにも嘘をつかなくなった。いずれの行動も日本にいたころの自分では考えられない。ひっとすると、これを"成長"と言っても良いのかもしれない。



【余談】
歳を取っただけか。
写真は好きな公園の日没。

ハイから抜け出した感覚があるものの、考えが止められず寝れない、朝起きれずうつっぽい、夕方から気分が回復を数日繰り返している。そろそろ落ちるのか。あとリチウムの調整に苦戦している。



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