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不器用な街雑記【中央線散文‐新宿】

終点、新宿。嫌いじゃない。
 
最初の記憶は小学校の頃で、長期休みに母に連れられあの凄まじい駅構内を歩いた。大江戸線に乗換え祖母の家に行くと、そこに新学期の前日まで預けられた。ストレスのせいか吐いてばかりいた。
 
次の記憶は社会人になる頃で、新宿は馴染の場所となり毎日無表情で駅構内を歩いた。お気に入りはヨドバシ街のブックオフと新南口のサンマルクカフェ。東口のナンパは改札内までついてきて、南口のデパ地下で知り合いが働いていた。わたしはその最低の街の百貨店やアパレルショップでしばらく働き、怒られたり、店長になったりした。深夜は東口のガールズバーで副業をした。2時過ぎに帰りたくて堪らなくなる。ダーツ。そのあとの磯丸水産。始発で恵比寿の友人の家に帰る。友人は東口のゲームバーのバーテンで、そこのコースターを覚えている。また別の友人はモード学園の学生で、西口の喫煙所で待ち合わせした。
 
同僚と遊ぶときは東口の小さなシーシャバーか、南口地下一階のHUBをよく選んだ。西口4階のバーで喋り倒し、そのあと二丁目で「あんた自分のこと可愛いと思ってるでしょ」とオカマに野次られた。ホストに風俗嬢、詐欺師の黒人。どん底の街で、だけどもそれでも良いのだと思える独特の空気感があった。その頃には龍が如くをプレイすると、大抵の場所は見覚えがあった。簡単に散財できて、だけども時間や人体を売れば簡単に稼げる街でもあった。
 
それから数年した今、東京から離れた場所に住んでいるはずなのに業務上新宿には縁がある。わたしは懲りずにまた演技をしている。職場の人たちと同じように、”新宿は人が多くて嫌な街!” と思っているような顔をして、「すごい人ですねぇ」とか適当な言葉を並べる。だが頭に浮かぶのは、社会人初めの色濃い数年。ダーツバーで副業をする後輩と行った火鍋。待ち合わせに使った喫煙所と、アメスピブラック。マルイのスタバ、仕事をサボって行った火曜日の朝のルノアール。好奇心が体力に勝ったように見えたあの時期。削られていった精神力。南口の橋で焼身自殺した男に憧れたあの日。
 
 
【余談】
ギャスパー・ノエというフランスの映画監督が歌舞伎町を舞台にした、とんでもない映画を撮っていることを突然思い出した。当時大好きでDVDを持っていた。

https://youtu.be/o9B941MaqAs?si=4hwi1CmdfGcr_c1d

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