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空気

国境を超えて一ヶ月経った。つまり、何度目か分からない逃亡から、一ヶ月経った。

よくよく考えると、この一ヶ月で自分でもびっくりするくらいたくさんの人に出会って、しかもみんなみんないい人で、何故か見ず知らずの自分を助けてくれた。

居場所はいくつあっても良い。帰れる実家も、頼れる家族もいないが、今何かあったら帰れるなと思える場所が、2つある。
感謝してもしきれない。恩だってどう返したら良いのか分からない。だけど、今回に限っては、わたしはその人たちに本当に助けられた。そのおかげで今こうして文章を書くくらい気力があって、新しい道の上を実際に歩いていて、昨日ではなく、明日のことを考えている。本当に本当に、助けられた。

それとは別に新しい仕事のほうでは、人間関係と仕事を分離して考えることにした。昨夜突然、そう決めた。今回、わたしはまた衝動的に、興味のある仕事を選んだ。そこに蔓延る人間関係は、仕事そのものとは別の問題である。そこでうまくやっても、やらなくても、なんと仕事内容おろか給料も同じなのである。支店長に、君良いね、と言われ、危ない、と思った。しっかりしてる、期待してるよ、と数人が言ってくれた。
嫌われることも、見捨てられることも怖い。だけども、それが仕事でしか会わない人なのだとしたら、見捨てられる前に、自分はその人たちに本当に気を許すことなど、この先一生ないのである。わたしは何故か、"目の前にいる人が気に入りそうな人" を瞬時に判断し演じる能力が無駄に高い。だが、気に入られても、その関係性を維持するには、一生演技をする必要がある。こうして書いていると、そもそも職場で人に気に入られる意味があるのか分からなくなる。気に入られたほうが、面倒事に巻き込まれにくくなり、何かあったときに味方が増え、精神的に楽だと今まで思っていた。しかし誰にも気に入られようとしなければ、興味のある、つまり、仕事そのもののことだけ考えられる。どう考えてもそのほうが効率が良い。問題点としては、それにはある程度の精神力が必要なことだ。わたしの" 演技" は謂わば弱さの現れなのだから。

人間ってやつは、自分の隣人が良心を持つことを願っている。

ゴーリキー『どん底』

その通りだ。だけどその隣人を自分は大事にしたいのか、よく考える必要がある。心の何処かでこう願ってしまう時点で、その人間関係は表面に留まると本当は解っている。


この土地に来る前に、居場所を作ってくれた人がいた。そのあと知らない土地の屋根裏で過ごした。何にもない部屋を手に入れると、布団をもらった。ある人は机を持たせてくれて、別の彼女は車を出してくれて、若者は自身の職場からコタツとイスを持ってきてくれた挙げ句車に乗せてくれた。明日はまた別の彼女の家を片しに行く代わりにレンジやタオルをくれるという。さらに帰国してから今日まで、わたしは家賃を一銭も払っていない。ガスが通るまで、ある場所で毎日シャワーを借りている。すでに副業先まである。大事にすべきはこういう人たちで、ややこしそうな人間関係に頭を悩ませる暇など無駄である。わたしは何にもないけれど、出会い運だけは誇れるのだから。


神様がわたしに、頼ることを覚えろと言っている。ここは日本。いつでも死ねる。


【余談】
海外で死ぬと(市民権がなく滞在ビザの場合)遺体の輸送に何百万もかかる。

大人でもお菓子をもらうと嬉しい、という法則を利用して助かったときは駄菓子を配っている。

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