コピー
突然だけれど、人生の全ては真似事である。
わたしは普段、大人の真似をして、”大人みたいな顔”をして街を歩いている。仕事だってベテランの真似事をしているに過ぎない。そういえば友人はそれを”コスプレ”と呼んでいた。真似事の回数が増えれば習得までにかかる時間は短くなり、まるで”出来る人”みたいになってくる。だけども中身は中学二年生頃から全く成長した感覚がないし、家ではゴミもまともに捨てられず、掃除も洗濯もできない(しない)。自炊なんて夢のまた夢で(望んですらいないけれど)、人体の管理さえままならない。文字通り厨二病のまま、経験と時間だけが過ぎ去っていく。
精神科医で作家の春日武彦の著書を読んでいたら、こうあった。
格段、苦しいかと問われるとよく分からないけれど、わたしはそもそも、こういう状態でない人が実際にいるのかどうか、知らない。もし特に何も考えず、真似事に精神を削られることなく社会に適応している人間が本当にいるのだとしたら、そうでない、謂わば”こちら側”の、我々には信じがたいことだ。そういった人間とは一生仲良くできないだろうし、別にしたくもない。
心の底から笑ったことも、悲しんだことも、おそらく自分にはない。だけど嬉しい顔も、悲しい顔もできる。ただそれだけで、わたしの真髄は、一ミリたりとも震えていない。たまに頭の中に閃光が差し込み、その感覚だけを頼りに生きている。何かがおかしいような気がして病院に行くと、セルトラリンだとか、リチウムだとか、マイスリーだとかをもらう羽目になり、病名はしょっちゅう変わる。当然何にも解決はしていない。つまり自分はそういう人間なのであり、安心して熟睡出来る日なんて一生訪れず、翌日の朝が早ければ睡眠薬を飲まなければならない。諦めるしかないのである。成長どころか、人体にも適応できていない始末である。滑稽、滑稽。人間失格。
そうしてわたしは気がついた。生まれてこのかた、自分は人間の真似をしてきたのだと。
【余談】
春日武彦をはじめて知ったのは歌人、穂村弘との対談で、それから何冊か読んだ。エッセイが面白いが、小説『緘黙』もなかなかのインパクト。
連勤が終わったのでしばらくはゲストハウスの手伝い。
Bookoffがセール。油断ならない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?