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震災から学んだ事

どうも、咲です。

3月に入ると思い出す出来事。

『東日本大震災』

時と共に風化してしまうのですが

あれから10年経過した今も復興作業は進んでいます。

当日どれだけの人が明日の事、未来の事を考えただろうか…。

どれだけ沢山の命が奪われてしまったのか…。

10年経過した今も家族に会えず、探している方もいらっしゃいます。

被災者は間違いなくこれから来る見えない未来を不安に思っていたと思います。

私も被災者なのでわかります。


当時は介護施設の現場職員をしておりました。

恵まれていた事に、ガス、電気、水は当日のうちに復旧しまして

幸い趣味で家庭菜園をしていたので野菜に困る事はなく

住んでいた場所が田舎だった為

お店に卸しに行けない農家さんや、酪農家さんからお裾分けを戴いたりで

有難い事に食に困る事はありませんでした。

ガソリンも並びに並んで何とか給油し、車にも乗って通勤出来ていましたし

仕事も天災の影響を受ける事なくこれまで通り勤務していました。

寧ろ津波で住む場所がなくなってしまった他施設の利用者さんが、職場に避難されていたのでますます多忙だったなと当時を振り返りました。

今思うと私は被災者だけど「恵まれていた被災者」だと思うのです。

私より大変だった方は沢山居ます。

色々な場所で起こる出来事に

毎日胸が張り裂けそうになっていました。


震災当日も仕事でしたが

翌日も変わらず仕事はしました。

正直な所

本当は何かあるかもしれないから家族の傍に居たかったというのが本音です。

でも仕事だから行かなきゃいけない…

他の職員さんだって家族があるのに出勤していました。

休みなのに職場の様子を心配してきてくれた人もいました。

皆気持ちは同じだけど職場に来る。

職場の利用者さんだって勿論心配です。

職員がいなかったら施設は成り立たなくなってしまいます。

わかる、わかるんだけど

もしまた同じ事が起こったら…

やっぱり家族の傍に居たい。

仕事場に縛られる事なく、場所を選ばず仕事が出来るようになりたい。 

毎日がむしゃらに生きながら思った事です。

当時は生きる事に必死で毎日の仕事をこなすのみでしたが

結婚を期に退職。

今は時折パートをしながら在宅ワークを続けています。


何もしない日があっても

勝手に収入が入って来る仕組みは素晴らしいです。

子育ての合間に作業をする。

家族が体調不良の時は

後ろ髪を引かれる事なく100%家族の事を考えて過ごす。

その時は勿論作業はしません。

自分が作り上げた仕組みが勝手に働いてくれます。


東日本大震災という人生に1度あるかないかの天災に遭い

家族の存在、これからの人生を考えさせられました。

私なりにたどり着いた結論は

『1分でも1秒でも長く大切な人と時間を共有して、幸せに暮らす』

自分に無理のない

家族に負担をかけないペースで

今日もコツコツ作業してます。

自分で出した結論を成し遂げたい。

在宅での仕事内容は時代と共に変化したとしても

・変わらず在宅で仕事をするという事

・何より家族との時間を大切にする事

上記の2つはブレずに生活していきたいと考えています。


あれから10年…。 

本当に沢山の事がありました。

明日何かあったとしても

後悔しない生き方をしたいです。

被災者の皆さんにご冥福をお祈り申し上げます。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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