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飽き性

自分、たぶん飽き性なんだろうな、と思う。

例えば、嬉々として機種変したスマホも1年くらい経つとマンネリ化してしまい、OSまで変えたくなってしまう始末。
毎日絶対触るものだとはいえ、安い買い物じゃないので、これはけっこうな死活問題である。
使ったことのない便利そうなアプリをとりあえず入れてみたりして、なんとか飽きないようにあがく。
だが飽きる。
毎日使ってるんだからしょうがないねと言い訳する。

もっと日常に根ざしたところで言うと、洗濯洗剤がある。
おんなじ洗剤だと気分が上がらないので、何種類も買ってきて洗濯機の前に並べてみる。
なんだか壮観ですね(?)
その日の気分によって使う洗剤を変える。
1本使い切らないうちに、新しい洗剤を買う。
これも一種の飽き性ですよね、おそらく。
洗剤メーカーの懐を潤すのに一役買ってやっているという自負…はあるかもしれないけど、ないかもしれない。

というわけで、何かをボロボロになるまで使い倒す、という経験があまりない気がする。
と思ったけど、そういえば冷蔵庫は12年くらい使っている。
まあ、そりゃ冷蔵庫に飽きを感じる人はなかなかいないだろうよ。

他にも、新卒で入った会社もなんだかんだ今まで辞めずに続けているし、あんまり多くない恋愛経験に当てはめるのもしっくりこない。
ケースバイケース。便利な言葉。

この記事を書きながら、自分の人生の中でこの記事にいちばん適した例を思いついた。
参考書である。

僕は、参考書を最後までやるという使い方をしたことがない。
最後まで終わり切らないうちに、次の参考書を買いたくなっているのである。
ダメな学生の典型例である参考書マニアっぽいところがあったので、誰かがおすすめしていたり、書店で目が合ってしまった参考書に飛びついたりして、まだやっていない参考書が何冊も溜まるという状況に陥っていた。
大学にどうやって受かったのかが今となっては一番の人生の謎ですね。

この参考書マニアっぽい気質が、幸か不幸か「読書」という趣味を開花させてくれたのだろうか。
すぐに飽きてしまう自分という人間が、10年以上(1冊の本を読み終えるという)小さな達成の積み重ねを続けられているのは奇跡に近い。


なぜ読書が続けられているのか考えてみた。

  • 参考書と違って、1冊にかける時間が少なくて済む。

  • 飽きてもすぐ別の本に乗り換えられる。

  • 装丁が収集欲を刺激してくる。

これらの理由は、どちらかというと参考書マニアの延長線上にある域を出ない。

やっぱり根源となるいちばんの理由は、


本を読むことは楽しいから。


なんだろうと思う。

こう考えると、参考書は面白くなかったんでしょうね。
勉強が楽しいという境地まで届かなかった凡人感が否めない。

自分が読みたい本を買い、読み、楽しむという、比較的広いカテゴリというか領域の中から自由な選択ができることが、「飽き」を遠ざけられている気がする。



と講釈を垂れることで、本を買う自分を正当化し、これからもせっせと積読を増やしていきたいと思います。



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