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自戒

座右の銘とまではいかないけれど、いつもコミュニケーションをとるときに念頭に置いているスローガン(?)というか、自戒みたいなものがあります。
それがこちらです。

(前略)
オタクがきめぇんじゃない 
コミュニケーション下手なオタクは自己が肥大化して他人の話を聞くより自分が何を話すかばかり考える人が多い
そして会話に不具合が起こる
それがきめぇんです
(後略)

空知英秋『銀魂』57巻「質問コーナー」より引用

空知先生が『銀魂』コミックスの「質問コーナー」で言及していたこれ、たま〜に会話をしていて「ん?」ってなる状況のことを舌鋒鋭く的確に言い表していてすごいなと思ったんですよね。自分全然『銀魂』のこと詳しくないんですが、これだけはなぜか知っているというね。

これ、実は自分もかなり気をつけないといけないなと思う節がありまして。例えば、会話をしていて「これめっっちゃ言いたい!」ってなったAという話題が頭に浮かんだとするじゃないですか。このとき、すでにB、Cなどの他の話題で場が温まっているにも関わらず、会話の流れを無視してAという目的地に向かおうとすると、変な雰囲気になることとかたまにありますよね。(え、ない?)

会話は傾聴の姿勢がやっぱり大事なので、Aという自分の持ち物を必ずしもその会話の中でこれみよがしに見せびらかす必要はないわけだし、その場は謙虚に引っ込めて、別の機会に(場が温まる前に)ここぞとばかりに披露する方がいいのかも知れません。後で話そうとして、Aがどこかにいってしまって二度と出てこないということもままありますけど、Aが自分の好きなことから出てきた話題であれば、A’の形で自然にまた湧き出てくるんじゃないですかね。知らんけど。

その人に趣味があって、好きなことについて熱く語るのは自由だし、むしろ何かに夢中になっていることを表現することはめちゃくちゃカッコいいことだと思います。ただ、TPOをわきまえるべきだというのは前提ですね。

昨今、なんの脈略もなく自分の話ばかりができてしまうSNSというツールがそこらじゅうに蔓延っていると思います。このnote記事とかもまさにそうですが。そんなSNSで特にこの自己肥大化現象が顕著だなと思うのが、バズっているつぶやきにぶら下がっているリプ欄ですね。リプライとは何かを考えさせられる。哲学。
自己の肥大化のレベルはゆうに超えて、肥大し過ぎて爆発して残骸になった何かが散見されます。もはやあれはコミュニケーションをしようとしているのではなく、言葉による一方的な蹂躙です(?)。

まあ、これはSNSというかなり特殊な環境での話なので、少なくとも現実にはこの自己の肥大化現象を持ち込まないように注意したいところです。SNSのリプ欄でコミュニケーションの骸と化している人は、現実でも同じコミュニケーションをしているのでしょうか。だとしたら、会話の相手が不憫すぎる。

というわけでこうやって偉そうに書いてきましたが、現実で「あいつ、自己が肥大化しててきめぇ」って陰で言われてたらどうしましょうかね。
そしたら、バズってるつぶやきに特攻しに行こうかな。



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