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48歳、私の性格を変えた写真

この写真は亡き母と私
父は生きているから
名誉を傷つけるかもしれないけど
書かないと話が成立しないから
書いちゃう

父ちゃんがこれを読まない事を祈る笑

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カメラ目線の私と無表情の母
撮ったのはおそらく父

私はこの写真を見て
私の「嫌われたくない病」の原因がわかった

当時父は遊び人
会社に借金をしてまで
部下に奢り昇進したかったらしい
大勢の人に好かれたい男は
当然の如く浮気三昧

毎回夜中にタクシーで帰宅
玄関で寝ている姿も珍しくはなかった

母はフルタイムで働き
帰宅後今で言うワンオペ家事と育児

そんな毎日
夫婦の穏やかな時間など皆無
毎日毎日顔を合わせるとケンカ

私にとってそれは日常で
けれど当然心地良いものではなかった

戦いが勃発しないように
2人が揃った時
私は常におどけていた
そんな努力もむなしく
必ず戦闘が開始される

火の粉は私にも飛んできて
私が怒られることもある

どこの家庭も夫婦が顔合わせると
喧嘩になるのは普通だと思っていた

親戚や友達の家に行った時に
両親が仲良くしているのを見て
もしかしたら家は
おかしいのだろかと気づいた

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ちょうど写真に写っている頃は
母と2人きりの時間が多く
私はいつも母のそばに居たかった
子供だから甘えたかったのだ

母のパターンは2つ

とても甘やかして可愛がってくれる時
暑苦しいから寄るな
気持ち悪いからあっち行け
と言われる時があり

幼い私には見分けがつかなかった
ただただ甘えに行っては
成功と玉砕を繰り返して
私なりにどうしたら
毎回成功するんだろう?と
母の顔色を見ながら果敢に挑んでいた

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その癖は私の身に浸透し
好きになった男の人にも
ひたすらそうしていた

私の気持ちは後回し
気にいられようと必死 笑

冷たくされると悲しいのに
次はうまくいくはず!
どうしたら優しくしてもらえるだろう?
と考えて依存して行った

結局自分の気持ちが後回しだから
正しい感情が置いてきぼりになり
また相手も言うことを聞く私に
要求がハードになったり
私への扱いが雑になっていく

幼い私が深いところで泣いている

そして関係は終了する

それを繰り返してきた

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2年前に見つけたこの写真
母の顔を見て彼女の当時の感情が
手に取るように理解できた

母は私を愛していた
けれど父への疑念や苛立ちから
私へ八つ当たりをしていたんだなって

「私はなんにも悪くなかったし
好かれる努力をしなくて良かったんだ
私は私のまんまでよかったんだ」

って気づいた

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過去の記事にもあるけれど
自虐ネタを多用していたのも
そのせいだった

気づいてから私はとにかく
私を1番に大切にすると決めた
そりゃ欠点も諸々ある
けどそこばかり見るんじゃなくて
良いところや私にしかできない事を
大事にしようと思えるようになった

方法は簡単

1人でも楽しめる自分になる
自分のしたい事を優先
やりたくない事はやらない
会いたい人に会いにいく
出来ない事や苦手な事は素直にお願いする

思う方向と違うと思う時は素直に伝える
義理でお金を使うのをやめる
身の回りの不要なものを捨てて
本当に気に入ったものだけで暮らす
ネガティブな言葉は使わない
褒めていただいた時は
「ありがとうございます!嬉しいです」
と笑顔で返す
日常の何か小さな事や当たり前の事も
サボらずできたら
「よく頑張った!私は天才!」と褒める

などなど

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これを積み重ねた2年間
捻くれていた気持ちはまっすぐになり
誰に媚びる事もなく
私らしく生きられるようになりました
毎日清々しく幸せ

周りの方々から
「変わったね!」と言われる事も

不思議なくらい物事が
するするくるくると回り始め
どんどん素敵な事が舞い込んできます

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お母さん

あなたは死んでからも私にいろいろ
教えて伝えてくれてありがとう
今も大好きだよ!!

お父さん

程よい距離で良い関係で居ましょう
若々しく元気でいてくださる事に
感謝しています

そして私
性格は簡単に変えられないって聞くけど
このキッカケで変われたね
自分を自分で幸せにできたら
幸せのグラスから溢れた分で
周りに幸せを波及させらるように
たくさん自分を幸せにしようね

そして私が幸せでいられるのは
無限に降り注ぐありがたき
ご縁のおかげさまである事
出逢えた方々やものごとに
毎日感謝して手を合わせて眠ろう

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