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父の最後の晩餐は「鰻の香り」

父のことを思うと、あるひとつの情景がありありと蘇ってくる。父は透析患者だった。腎機能が低下し、医師からは厳格な塩分制限を指示されていたが、父は減塩生活になかなか馴染めなかった。

ある日、父を見舞った際、近所の和食屋で食事をすることになった。父はあろうことか鰻重を注文し、さらに、追加のタレまで注文した。鰻の蒲焼には多くのリンと塩分が含まれていて、透析患者に良いとはされていない食べ物だ。父と再婚した奥さんは、目を吊り上げて怒ったが、父は憤然と答えた。

「もうええねん、好きなもん食べられへんなら、死んでええねん、今日は息子に会えたし、ハレの日には鰻やろ、長く生きんでええねん」

父は、追加のタレをなみなみと注ぎ、一口一口、鰻をゆっくりと味わいながら食べた。僕は父を止めることができなかった。父とは子どもの頃から離れて暮らし、深い親子関係でもなかったし、父のハレの日の食事を取り上げる権利は自分にはないと思ったからだ。父がうな重の最後の米粒まで残さずに、うまそうに食べる姿を静かに観ていた。

それから半年後、父は死の床についた。病院の食事は、栄養とカロリーは足りていたが、父は「まずいねん」といって、あまり口にせず、みるみるうちにやせ衰えた。そして、死を前にして「うなぎが食べたいねん」を繰り返した。父は誤嚥性肺炎で3回も死にかけており、嚥下機能も低下した父には、うなぎを咀嚼する能力はなかった。残念なことに8年前には、七日屋の「嚥下食のうなぎ」はまだなかった。

すると、父の奥さんが、うなぎの蒲焼を買いに走り、扇子を使って父に香りを嗅がせた。父は「おいしいわ、香りだけでも、鼻の奥で、おいしいわ、ほんまにありがとう」と言って、翌朝死んだ。父さん、最後の晩餐に、うなぎの蒲焼きを楽しめてよかったね。

(七日屋・上村次郎)


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