自殺は迷惑か

 こんな話をネットか何かで聞いたことがある。
 自殺の話を切り出したら、「そんなことをすれば他人に迷惑をかけるから」
 だから死んではいけないと そんな話だ。

 別に私は自殺を勧めたいわけではない。
 だだ、その話になにかの違和感を感じたことを、私は見逃してはいけないと思った。

 人が死ぬ時、もちろん悲しむ人もいるし、その遺体の処理もある。

 そうやって死ぬ時も迷惑をかけるなら、私が生まれた時も同じ迷惑がかかったことに違いない。母親の苦労や周りの迷惑は、どちらにしろ同じことだ。確かに人の誕生に迷惑と感じる人は少ないかもしれないが、手間がかかる、迷惑という点に置いて、誕生と死は同じことである

 もうひとつ、どこかでこんな言葉を聞いたことがある。私にとってその言葉は心を冷静にさせてくれる。そんな言葉だ。
 「みんなのために生きて みんなのために死ぬ

 初めこれを聞いたとき、すぐには納得出来なかった。

 あなたは知っているだろうか、寿命がなんのためにあるかを。
 大昔、私たちの先祖に寿命はなかった。それを様々な環境の変化に対応するために、進化という道を選んだのだ。進化に生と死はつきものである。これに説明などいらないだろう。

 たからだ。私たちは1つの生物として、みんなのために生き、みんなのために死なねばならない。反対にこれは、私の生はみんなのためであり、私の死もまたみんなのためになるということだ。

 これは私を冷静にさせる。
 今日、様々な選択を求められるようになった。それを人は自由といった。しかしその分、個々人に課せられる責任などたまったものでもない。
 自分を追いやることしかできなくなった時、もう一度このことを思い出せばいい。

 私たちの生死には、意味があったことを。
このことはきっと分け隔てなく誰でも、いやどんな生物も変わらないことだろう。私が生まれたことは何かのためになって、また私が死ぬことも何かのためになる。

 さあ、もう学校の時間。

 あなたは人の死をどう思う?

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