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短編小説『笑顔の背中に』

笑顔が、とくべつに尊く見える人がいる。
花で言えば、たんぽぽや、マリーゴールド、ひまわりみたいに、太陽に似た明るさで、元気をくれる。


「過去にはたぶん、軽い、重いがあると思うんだ」
百人いれば、百人、誰にも見えない様々な過去を背負って、生きている。
ポニーテールの少女に、その友人の少年が言う。

去年、いじめ未遂的なものにあった少女は、人を馬鹿にする心が、数ある人間の業のなかで、最もたちが悪いと思っている。
少年は、無口で、いつも教室の隅にある席で、ひとり本を読んでいた。

少女は一緒にいると落ち着くからと、少年がどんな態度をとろうが関係なく押しかけては、たわいもない話をして過ごす。
「じゃあ、私は軽いかな。羽が生えててもおかしくないくらい軽い」
たしかに、と、少年は笑うのをためらうように、口元に手をあてた。
「今、笑ったでしょ」
「どうだろう」
少女は、少年を笑わせることに血道をあげていた。
少年は、滅多に笑う気が起きない。
彼女を相手していると、たのしいのか、迷惑なのか、わからなくて、微妙な態度で応え続けている。
「過去の重い軽いは、年齢に比例しない。子供だろうが、老人だろうが、重い人は重い」
「重いのは、いいこと?悪いこと?」
無邪気な問いに、少年は年齢にそぐわない落ち着きで、じっくり考えてから答えた。
「どちらでもない。考え方や、生き方次第で、どちらにもなるんだと思う」


少女は、少年にはじめて、話しかけずにいられなかったときのことを、思い出した。
帰りぎわ下駄箱で、迷子のような、不安げで泣き出しそうな、こころもとない顔をしていた。だからといって、泣いているわけでもない。
「ねえ、何かあったの?」
「え?」
儚い表情は一瞬で消え、なんでもないかのように、彼はきょとんとする。
「あのね」
少女は、自分でもどうしてそうしたのか、わからなかったのだけれど、彼の手をとって言った。
「やっぱり冷たい。私のあったかいのを、あげるよ」
ポケットから、ホッカイロをとりだして渡した。
少年は、あったかいな、と、小さく言った。
「でしょう?」
得意げに笑うと、少年もそれにつられて微笑んだ。
漫画にはきれいな女の子が笑って、花を背負う描写があるけれど、少女は少年に、そういった特別な笑顔を見た。


少女には、生きる辛さを、重さに言い換えているのがわかってしまった。
彼の過去は、というか現在も、かなり重いのだろう。
それに対して、何もしてあげられない、幼さと、力のなさが、情けなかった。
「どうして、落ち込んでるの?」
少女がうつむいてしまったので、不思議そうに聞いてくる。
「うん、あのね」
意を決して、こぶしを握って言った。
「私ね、あなたの笑った顔が大好きだよ」
少年はみるみる真っ赤になって、机に伏してしまった。
「あ、ごめん、愛の告白じゃあないんだ。思ったことを、そのままに言っただけなの」
「わかってる。でもそれ、相当、恥ずかしいから」
少女は力説する。
「私は大丈夫!」
「―――僕が無理」
そう言いつつ、苦笑して顔をあげた。
「まったくもう」
困ったような物言いでも、かなしいような、うれしいような、はにかんだ笑顔を見せた。
少女は、ほっとした。
彼の過去が軽くなるわけでも、何かがよくなるわけでも、ないかもしれない。でも。
「待っててね」
そっと、つぶやく。
つかみどころのない彼ではあるけれど。
この先、一歩一歩、経験をつんでいけば、いつかは追いついて、その笑顔が特別な理由が、わかるはず。
そうしたら、改めて伝えたい。

チャイムが鳴った。
「じゃあね!」
「うん」
少年は教科書とノートを取り出して、ほうっと息をつく。
うれしそうに席に戻っていく少女の背中には、たしかに羽がある気がした。

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