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メモ 〜言葉について

私は言葉が好きで、
言葉で表すことがもはや快感でいたけど、

その快感さは、
意図的に「自分」を表舞台に表すことができるっていうことからなんだな、と気づいた。

表舞台に表す必要性っていうのは常に、
私にとっては、

「どうか、私を誰か、的確にわかってほしい」

ということの裏返しだったのだろうと思う。

圧倒的な安心の中で、
誰かに分かってもらうことができたなら、

私に言葉は必要がなくなる。


初めて、自分と言葉の接続が切れる感覚を味わった。


アーレントが公的現れのなかでは、
言論スピーチと複数の他者の存在が不可分であるというのは、そういうことにも関係しているかもしれない。
現す・表す必要性。
いやもう少し的確にいうと、彼女の場合は、
他者によって現される、という次元だろうが。

常に、私は不安なんだな。

表さないと、現れていないと、
私が私で保てなくなる恐怖に常に駆られているんだろうな。


無条件に何者かに存在が赦されて、

表す・現す必要がなくなったとき、

私はどうなるんだろう。


私には、物心ついた時から無かった、
「沈黙」が訪れるのかもしれない。

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