辛い時にこそ言葉が出てくるなぁ
気持ちを言葉に載せることが、あんまりしっくりきていないと、前回のnoteで書いたけど、
辛いことが起こるとやっぱり、
言葉はたくさん出てくる。
辛いことがあった時、
音楽で昇華する人、絵に描く人、など、
人は、いろんな方法で、
自分の抱えきれないものを外に出していくのだろうけど、
私の場合はそれがやはり言葉だったんだなー、
と思い知る。
これが1番自分が表現しやすいやり方。
先々週くらいまでの自分は、
めちゃくちゃ調子良く過ごしていて、
応用的な表現方法に手を出していたのかもしれないな、と思った。
最近について
人の死をまた体験した。
今回は、本当に目の前で亡くなっていくところを看取った。
だんだん首の脈が触れなくなっていくことがわかった。
肉体は滅びる。
こんなに一生懸命に、
生きていこうとしている命も、いつかは終わる。
私が、その人が、
生きたことに対する意味は、
何かあるのだろうか。
なぜ人は、儚い命のなかで生きていくんだろうか。
生きなくても良いんじゃないか。
働くということ
その人は、
働き者で、本当に名の通りよく働いていたし、
昔が貧乏だったからと、
仕事に就くことができて、
そのお金でビールを飲むのが最高に幸せで、
生き甲斐だったらしい。
戒名も、本当にその人らしい、
働き者の名前がついた。
そんな様子を見ていると、
早々に公務員をリタイアして、
のんびり学業をして、理想論ばかり考え、
だからといって没入するような熱量でもなく、
並行して、自分の携帯代や交際費をかろうじて稼ぐようなパートタイム労働に勤しんでいる私は、
本当にぼんやり生きているなと思う。
今はあんまり気力も出ずに、
いろんな予定をキャンセルして過ごしているんだけど、そんな中でも、
マイナビ2025だけは登録して、何個か説明会も予約した。
そんなことをしても、
一度リタイアして人生再構築中の私らしい就活にはならないかもしれないが。
(というかマイナビに登録してみて思ったが、
私は新卒でも第二新卒でもないし、
院進してしまってるので中途でもない、みたいな、就職にはあまりに微妙な位置すぎて、これまた助けて欲しい)
でもなんだか、働くのって悪くないよな、
ってその人の死をもって、
かなり思わされたところは本当で。
働くなんてクソ喰らえと、
激務で病んで這い上がってきたところの私は少し思っていたところがあったけども、
働いて、そのお金で、ビールを飲む。
最高に幸せだよね。
働くことなんて、
本当はそれだけでいいのかもしれない。
働くことに、生きがいも乗せないといけない性分なのがまた、今の社会では損をしてるんだろうなぁと思う。
二転三転
結局、働くことを褒めているのか、斜に構えてみているのかわからない文章になった。
辛いことが多すぎて、
最近は、意見が固まらないことが多い。
コロコロと話が二転三転してしまう。
腰据えて生きられてないんだと思う。
この間なんてパートで働いてたら、
ネズミ講とちまたで噂される美容業界の人に名刺渡されて、
私がつけていた名札で名前を読まれて、
「そるべーさんね。毎日いらっしゃるの?いつでも連絡してね」
と勧誘されてしまった。
悪い気が纏ってしまっているんだなーと思った。
しばらくは喪に服して、
気分転換もして
(東京に来週行くことが決まっている楽しみ)、
落ち着いた、そしてエネルギーをもった新年度を迎えられるようにしたい。
少し言葉にしてスッキリした。
聴いてくれてありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?