昨日が楽しかった話
昨日は、同じ職場だった同僚と餃子を食べに行った。
その子とは久しぶりのサシ飲み。
可愛いドラミちゃんのサワーを頼む。
映える。
お互いにあまりお酒は強くないので、1杯でほろよい。
普段4人とかで集まることが多いので、2人で語るのは久しぶりで、なかなか集団ではしないような話ができた。
寂しさの勝利
彼女は、結婚したいという焦りや、いまの彼との上手くいかなさ、行きつけの店の推し店員さんの話を主に語っていたけど、
結局は「自分で自分を満たされへんのよな〜〜」と言っていた。
人に全部満たしてもらおうと思ったら、依存になっちゃう。
だから、自分で満たさないとあかんのは分かってるけど、どうしたらいいか分からん。
寂しさが勝ってしまう。
とにかく1人でいるんが寂しいんよ、と。
なんか痛いほど分かる。と思った。
だけど、結婚したとて根本的な寂しさが埋まるかといえばそうじゃないよ、と夢もあられもないことを私は言ってしまった。
最終的には、自分探しが終わってなくて、アイデンティティが拡散しているのかもなぁと話し合った。
語ることで整理する
最近、ロゴセラピーとか、ナラティブストーリー(個人の語り)みたいなことに、結構興味がある。
言葉にすることで、整理されたり、癒されたり、新しい発見があったり、人に説明しようと客観的になれることで、その辛さに対して距離を取れることがあると思う。
昨日はまさに私がそれをさせてもらって、
2軒目のバーで、酔いながら、滔々と私は仕事でズタボロになった気持ちを、そのまま聴いてもらった。
聴いている方は、もしかしたらしんどかったかもしれない。
負の気持ち?を語るわけだから。
でも私はすごくスッキリさせてもらって、また少し前を向けた。
本当にありがとうだなー、と思った。
2人とも満足な関係
本音と建前、それは私にもはかりきれないけど、別れ際には、彼女も結構満足そうな顔をしていたように見えた。
また語ろうね、すぐまた会おう!
と言ってくれた。
片方がしんどい関係は、嫌だなと思ったから、
よかった〜とホッとした。
昔彼女が、
「同期みんな、色々考えてるそるべーが好きなんだよ」
と言ってくれた時には結構救われた。
その前提?があったから、あんなに自分の傷を語ったのかもしれない。
その前提がなかったら語っていなかったのかな、と思うと小心者だなとも思うけど。
会った人が、話した人が、
あ、今日この人と時間を共にできてよかったな、
って思える関係が築けたら、それはそれは最高だなと思う。
私もそんな時間を共有できる人間になりたいなと思う。
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