ある使節の記録 第10話
気付くと、私はあてがわれていた部屋にいた。まだ雨は降っている。
あのあとどうやって先輩と別れたのか、この部屋に入ったのか覚えていない。私はショック状態だったのだろう。………しっかりしなくては。
もっと酷い目には遭っていた。が、家族というコミュニティに属したのは、今回が初めてだったので、それでショックが大きかったのかもしれない。
「春樹?」
その声が聞こえたとき、私は息を呑んだ。
遠慮がちにドアが開く。兄の心配そうな目が私を見つめている。
「兄さん」
「どうしたの?映画始まってるよ」
兄が入ってくる。私は、身構えるように対峙した。
「どうしたの?」
この心配そうな目は、気遣いの目ではない。保身の目だ。
「兄さん。僕をどうしたいの?」
「え?何…?」
「もう一度殺したい?」
思い切って問うと、兄は固まってしまった。………急すぎただろうか。
「春樹、何言って…」
「思いだしたよ。あの日、兄さんにされたこと」
兄が息を呑んだ。……兄は知っていたんだ。自分が私を殺したことを。私が忘れていたのをいいことに、ずっと黙っていたんだ。
「どうして、あんなことをしたの?」
「…………」
「そんなに憎かった?」
「…………」
「兄さんは殺したいほど僕が嫌いなの?」
「…………」
沈黙する兄は、人形のようだった。私を見る目には何も映っていない。
「教えて」
兄は何も言わない。何も見ない。ただ、黙って立っていた。
私はしばらく待っていたが、まったく進展しなかったので、部屋を出て行くことにした。
———と。
「怖かったんだ」
「え?」
振り向くと、兄は同じ姿勢のまま小さく繰り返した。
「怖かったんだよ」
「怖い?」
「春樹がいなくなっちゃうと思って」
何を言ってるんだろう。怖い目に遭ったのは私なのだが。
「兄さん何を言ってるの?」
「———自分のものにしたかったんだ」
兄はそう言って膝をついた。
「自分の手で殺したら、誰も春樹に手出しできないから——」
私は沈黙した。
こういった心境を目の当たりにしたことはなかったが、異常な理屈としては知っていた。
「好きだから殺したの?」
彼らが口をつく言葉を言ってみた。
兄は頷いた。
「馬鹿だな」
私はそう言って、部屋を出た。
ヒトは理解出来ない。そんな事で殺すなんて。
自分のものって、手に入れたいって、「ヒト」と「モノ」の区別が付いていないのだろう。
これもヒト、なのか。
やっぱりヒトは難しい。交渉なんて有角種族の言うとおり早いのかもしれない。
………まだ、サンプルが足りない。
決めるのはまだ早い。
もっと、多くの情報を入手しないといけない。これは、あくまでサンプルの一つなのだから。
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