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信じるに足る人は、

突然ですが、今あなたが信頼を置いている人を、思い浮かべてみてください。
家族、友人、恋人、職場の人、先生、先輩、後輩……
どのような関係性でも構いません。
この人になら、大っぴらにはとても言えないことも、
何故だか言えてしまうな、ついつい話してしまうな、
安心するな、と思わせてくれる人です。
きっと、皆さんが思い浮かべた方たちは、一人ではないでしょう。
それぞれ知り合ってからの期間も異なるでしょうし、
会う頻度、話す頻度なども各々で違うのだろうと推察いたします。

ではなぜ、同様に信じ、心を許しているのでしょう。
信じるに至ったきっかけは、どこにありましたか。
少数派な意見を持った自分の、味方をしてくれましたか。
傷ついたとき、ずっと傍にいてくれましたか。
あなたの持つ不安を、言葉や技術によって消し去ってくれましたか。
失敗をしてしまったとき、フォローをしてくれたという人もいるかもしれません。
きっかけは何であれ、こちらも一人一人に、その方ならではの理由があるかと思いますが、実は一つだけ、共通点があるのです。

それは、「尊敬できる点がある」ということです。
尊敬は、しようと思ってできるものではありませんから、
無意識のうちに生まれる感情なのです。
そして、その人のことをふと考えたときに初めて、
自分がその人のことを尊敬しているのだと気がつくのです。

周りに流されず、自分の意思で決断を下せるところを尊敬する。
慈愛の心を持ち、人に尽くして寄り添うことができるところを尊敬する。
自身の弛まぬ努力で以て、技術を身につけ、それを他に活かすことができるところを尊敬する。
よく他人を見、多様な人間を広い心で受け止めることができるところを尊敬する。


皆さんが思い浮かべた方々は、きっと全てが完璧というわけではないでしょう。
当然、誰にでも、何かしらの短所はありますし、
誰かにとっての長所は、誰かにとっての短所ですから、
角度を変えたらば、見え方は変わるわけですが、
それでも「尊敬」の気持ちは、どの角度から見ようとも、変わりようのない不変的なものなのです。

尊敬できる部分があるから、多少の短所には目を瞑っていられる。
それどころか、短所が相殺されてしまう場合さえあります。
そうして人は、人を信じ、コミュニケーションを育み、
生きていくのだと思います。

ここまで、誰かを尊敬することについて述べて参りました。
しかしそれは、あなたにも当てはまるのではないでしょうか。
恐らくあなたも、何かしらのコミュニティに属したり、
誰かに頼られたり、人に秘密を打ち明けられたりしたことがあるかと思います。
そんなあなたのことを、私は尊敬したいと思います。

誰かを必要とし、誰かに必要とされ、
そうして人間は日々の営みを成立させてゆくのだと、確信しています。
そしてその事実は、変わらぬ尊敬の念と同様に、不変の価値があると考えています。

誰かから、一人の人間として尊敬の念を持たれ、信頼されているあなたを
素晴らしいと思い、尊敬する私ですから、ここで秘密を打ち明けますね。
私、実はグルテンフリーダイエットをすると宣言して三日、毎晩パスタを食べています。
秘密ですよ、絶対に。



(p.s.自宅のインターネットでトラブルが発生しPCを立ち上げられず、更新が途絶えてしまいました)


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