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好きで固めた人生

自らの「好き」で周りを、この世を固められたらば、
どんなに良いことかと、考えたことがあります。
"考えたことがある”というより、今でも度々考えます。
そんな妄想に耽っているときは、大抵何かしら心が疲れているのでしょう。
如何にも、現実逃避したい人間が考えそうなことですから。

さて、話しを戻しまして。
自分の好きな食べ物だけが周りにあって、
好きなお洋服を着て、好きな人と好きな場所へ行く。
当然そこには、仕事もなければ、時間に追われる瞬間もありません。
好きを並べるのですから、苦手な人、嫌いな人は出てきませんし、
苦手とすることを強要されることもありません。
自分の好きに我儘になることに対して、誰かに小言を言われることもありません。
私にとって苦手なことは、大体他の誰かしらにとっては
得意なことであるわけですから、その方に任せれば良いのです。

そんな世界が実現したなら、私は天にも昇る気持ちで、
全身で喜びを表現することでしょう。

それは私に限らず、皆がそうするのでしょうが、
果たしてそれは、いつまで続くのでしょうか。
例え嫌でも、誰かが仕事をしなければ、衣食住が保たれないだとか、
社会の秩序が乱れるとか、そういった現実的な面を置いておいたとしても、
それでも好きで固めた世界は、そう長くは続かないでしょう。

何故なら、人は苦しみや困難の中から好きを見つけ、
足掻いたその先に、幸せを見出すからです。

とても身近なことでいえば、一週間大変な仕事を頑張った帰りに、
普段は我慢する、話題のコンビニスイーツを買ってみるとか…、
辛いことがあったから、友人に会って話を聞いてもらうだとか。
「いつもと違う嫌なこと」があったからこそ「いつもと違う格別な美味しさ」
「いつも以上の人の温もりや有り難み」があるのだと思います。

私は特に、人の温もりや友人の優しさに支えられて生きてきました。
だからこそ、その有り難さを当たり前にしたくはないのです。
知らぬ間に、日々の拠り所を当たり前だと感じてしまったら、
人は人に、優さや慈愛の心を持つことができなくなるのだと思います。
粛々と毎日を過ごしているだけのつもりでも、
困難に見舞われることは日々ありますから、困難ウェルカム!
ということでは決してありませんが…。

ともかく、私は現実逃避のために度々可笑しな妄想をすることがありますが、
その想像の世界に行くか、現実の世界で生きていくかで二択を迫られたらば、
迷うことはあれど、最終的には今をそのまま生きることを選択すると思います。
そして私は、それを選択する人間のままでありたいとも思います。

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