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「ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム」自己実現のゲーム

「ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム」長文クリアレビュー

※ネタバレあり
(6/21追記 タイトルぱっとしないので変えました)

はじめに

発売日に購入した「ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム」をようやくクリアすることが出来た。
クリア時間は150時間ほど。恐らくあまり寄り道しなければここまでの時間はかからないだろうが、わたしの場合は本作のあまりの完成度の高さに心を打たれ、「このゲームを終わりたくない」という気持ちが芽生えてしまってだいぶ遅くなった。
本来ならミニチャレンジや防具の強化などもっとやり込み要素をこなしたかったところだが、Minecraftやスプラトゥーン3、MHR:SBなど各タイトルの大型アップデートが目白押し、更にFF16やアーマードコアⅥなどビッグタイトルの発売を控える中で「いい加減クリアしないと機会を逸する」と思い急ぎシナリオを進めた次第だ。

「ブレワイ」を超えるゲーム

「ブレワイ」こと「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド(BotW)」は2017年にSwitchとWiiU向けに発売された「TotK」の前作にあたる作品だ。圧倒的な自由度の高さとボリューム量、そしてそのとっつきやすさから高い評価を受け、2017年のGOTYを獲得するなど"任天堂製のオープンワールド"は名を轟かせた。

と、ここまでは世間一般からの評価を語ったが、個人的には「BotW」は確かにクオリティの高い作品ではあるもののそこまでの評価に値する作品のようには思えなかった。
ネガティブな感想だけに注目して挙げると、とにかく移動が面倒でタイムパフォーマンスが低下する時間が長かったという印象が大きい。序盤は崖を登ってショートカットしたくなる場面が多いのに崖を登れないし(それも登り始めないとゲージが足りるかわからない)、能力や装備を強化するにも移動が面倒でストレスが溜まる。そもそも祠も装備の強化もある程度してしまえば最悪やらなくてもいいので動機として薄い。ミニチャレンジは数こそ多いものの所謂"お使いクエスト"が多くゲーム体験としては浅薄で、これも移動が多くてハードルが高い。単純にやることの選択肢が多い故にストーリーへの熱も冷めモチベーションが続かず、「このゲームをやらない」という選択肢が生まれてしまう事が何度かあった。
もちろんそれとは別に高クオリティに作られたゲームやボリューム量に感動することも多かったし、そのおかげで80時間もプレイしてしまったが、タイムパフォーマンスという点から見ると全体的に謎解きやアクションなどのゲーム体験要素を「移動」や「選択肢の多さ」で薄めているような印象を持った。

話を戻すと、「TotK」発売前、正直に言うとわたしはあまり本作に期待していなかった。個人的には「BotW」は前述の通り100点満点中70点ぐらいの作品だと感じたものの、世間の多くのゲーマーからの評価は高く単純にゲームのクオリティという意味ではかなりよく出来ていた。しかし常に質の高いソフトをリリースしてくれる任天堂の作品だったとしても、さすがに前作と比べて"自由度が高い衝撃も"ボリュームがある衝撃"も薄れるだろうし、Switchのマシンスペックを考えてもこれ以上の衝撃的な作品は生み出せない、そうタカを括っていた。しかしその予想は大きく裏切られた。


真の"自由度"とは選択肢が多い事ではなく正解が多い事なのかもしれない

本作が「BotW」を大きく超えている点をいくつか挙げていこう。

まず、マップが広い。「BotW」発売当時はオープンワールドの金字塔「Skyrim」の2倍のマップ面積とネットで話題になっていたが、本作はその「BotW」のマップに更に空島と洞窟と地底世界を加え、おおよそ2倍から3倍のマップ面積となっている。特に地底世界の情報は発売まで伏せられていたため、序盤のシナリオで地底を訪れた時に驚いたプレイヤーは多いことだろう。
地上においても前作と全く同じというわけではなく、落下物が散らばっていたり魔物の根城になっていたりなど変化が大きく、前作との違いを探すだけでも探索する動機になる。前作未プレイで「TotK」が気になっている人は絶対に前作からプレイした方が良い。広がったマップにはこれでもかというくらい小さな謎解きギミックが存在し、後述するウルトラハンドによる無限の可能性と併せてプレイヤーを飽きさせない仕組みとして機能していた。


そしてマップ構造において前作と決定的に異なるのは、本作のマップは”ある程度寄り道”をしないとかえって面倒になるように作られていることだ。マップ開放に必要な塔は標高が高い辺鄙な場所に移動しており、森に分け入らなければ遭遇することもなかったボスは街道に鎮座している。祠はファストトラベルとして使うには不親切な場所に置かれていることが多く、地上だけで言えば前作より数も少ない。空からの落下物は馬が通れる街道を封鎖していて、ヘドロや砂嵐など街へ至る道全体が正攻法で攻略するのが億劫になるギミックに覆われていることもある。前作では攻略サイトを見ないとかなり面倒な仕掛けだった迷いの森ですら、地底からトーレルーフで一発だ。

一方で妖精の泉など目立たないものの機能的に重要な施設は街道や馬宿の近くに移された。これらは寄り道をしたご褒美的な要素ではあったが寄り道をする導線にはなっていなかった。個人的体感だが「BotW」ではこれに限らず”導線は無い、或いは弱いがご褒美はある”要素が多く、自発的に移動のストレスを乗り越えて「探索」をしないとゲームを楽しめなかったり楽しめていない要素がある事すら気付く事ができない事が多かった。

タイムパフォーマンスという観点から見ると、この変更は凄いことをやっている。世の中に絶対的なコンテンツ量が多すぎる昨今、タイムパフォーマンスとはもはや若者だけの言葉ではない。ここ数年、年に何回もビッグタイトルが発売され、そのどれもがクオリティが高く面白い。目移りする先はいくらでもある。
メーカーとしては面白くないであろう話だが、一方でユーザーから要求されるグラフィックやコンテンツ量は年々ハードルを上げており、苦肉の策として力を入れた芯となるコンテンツを誰でもクリアまで行けるように作り、それで満足できないヘビー勢向けにちょっとしたやりこみ要素を用意している事が多い。
オープンワールドゲームの寄り道は明らかに後者の”やりこみ要素”で、本来は「満足できない人がやればいい」コンテンツであるはずなのに、本作は敢えてそこに行くように誘導されているのだ。一歩間違えれば「メインコンテンツすらストレス無く遊べないゲーム」と批判の的になる筈なのに、そうならないのは絶妙なさじ加減の賜物と言えるだろう。

Switchはまだまだ現役だ、と思わせるような広大なマップと美麗なグラフィック


そんなマップ構造に果てしなく幅広い遊び方を提示するのがウルトラハンドゾナウギアの存在。これを避けてティアキンは語れない。
ウルトラハンドは、プレイヤーが落ちているあらゆるオブジェクトを組み合わせてクラフトすることができるシステム。そしてゾナウギアは扇風機や火炎放射器などウルトラハンドをサポートしハイラル世界の物理法則にアクセスできるユーティリティ群だ。要するに広大なハイラルの地で「Besiege」のようなことが出来ると言えばわかりやすいだろう。
このシステムによってゼルダの伝説シリーズではお馴染みの謎解きギミックには文字通り無限の解法が生まれることとなる。

Besiege

このゲームの謎解きが本当に面白く感じるのはギミック攻略が「開発が意図した正解を探す作業」ではなく「自分の頭に浮かんだアイデアを試行錯誤する」ように出来ているからだ。
ウルトラハンドは「こうやったら出来るかもしれない」と自分でイメージした事は大体具現化出来てしまう。たとえそれがうまくいかなかったとしても、それはシステムが無機質的に「開発者が意図した正解ではないので」とNoを突き付けるのではなく、ハイラル世界の物理法則に則った結果上手く行かなかったというだけだ。
祠のような閉鎖的な謎解きギミックの施設でも、明らかに開発者が意図していないようなクリア方法は無数にある。どうしてもわからないから力ずくで無理やり突破という方法がまかり通ってしまう場面すらある。
最初のうちは「明らかに意図していないであろう攻略方法」に背徳感を覚えてしまうかもしれないが、ギミック攻略の機会を重ねるうちにむしろ「正解なんてない」を意図して作っているかのように感じてくるだろう。

正攻法で乗り込むのはめんどくさい。ならば板を繋げて柵を乗り越えてしまおう。

このウルトラハンドによって前作では一番のストレス要素だった”移動”ですら謎解きに変わった。「こんな乗り物を作ったら山道を簡単に登れるだろうか?」「あの崖の向こうにはどうすれば渡れるのだろうか?」「乗り物に武装をつけたら道中のモンスターもラクして倒せるだろうか?」
課題も、それを解決するアイデアも無数に湧いてくる。上手くクリアできると成功体験を得られて楽しい。このゲームはひたすらその繰り返しだ。「移動でゲーム体験を薄めている」と感じた前作だったが、今作は「ただ移動するだけですら小さなゲーム体験で埋め尽くされている」作品だ。


これはわたしの個人的な意見だが、前述の通りこのゲームの一番の面白さはプレイする上での「ほんの些細な課題まで解決できる手段がある=課題を解く楽しさがある事」だと思う。
課題解決の報酬はほとんどが「ラクできる」か「成功体験」しかない。質的な報酬などやり込めばやり込むほど価値がなくなるからだ。祠をクリアして得られるハートの器0.25個分の価値のアイテムなど、ハートが20個あるプレイヤーにとっては垂涎の的にはなり得ない。防具だって攻撃力が上がるものが一式揃ってしまえばあとは有象無象だ。
だが自分のアイデアで課題を解決する成功体験は何物にも変え難い価値がある。その成功体験をゲーム体験=パフォーマンスとした時に、このゲームは自発的に寄り道した方がタイムパフォーマンスが良くなるように出来ているし、そうなるように導線も作られている。

だからSNSや攻略サイトで便利な乗り物の作り方を教わるのは著しくゲームの寿命を縮め、楽しみを損なうのでやめた方がいい。ヘタクソでも自分で考えて解決した方が絶対に楽しい。わたしの勝手な想像だが本作のブループリントに共有機能が無いのは恐らく意図的にそう作られている。ポケモンやどうぶつの森、スマブラなどでもSNSへのシェアを前提としたシステムは当たり前のように存在するのでゼルダの開発陣が意識していなかったなんて事は有り得ないだろう。「自分が」アイデアを捻り出して課題を解決する過程こそがこのゲームの肝として作っているはずだ。


ウルトラハンドで人とも繋がる

厄災ガノンの影響で荒廃したハイラルの大地をリンクが一人で駆け回っていた前作と異なり、本作はハイラルに住まう人々と密接に関わり共に生きる様を描いたストーリーとなっている。
多くのプレイヤーが地上に降りて最初に立ち寄るのは中央監視砦。前作では侵食されたガーディアンが闊歩し荒れ果てていた場所に、ハイラル王国の復興と未だ瘴気が立ち込めるハイラル城の監視を目的として様々な人物が集まって作られた拠点だ。ここにいるNPCの誰もがゼルダ姫護衛の騎士である主人公リンクの事をよく知っているのは登場人物のほとんどがリンクの事を知らなかった前作とは対照的で、前作をプレイした人からすると顔見知りと出会えることが嬉しく感情移入しやすい。

また本作では神殿をはじめNPCと共闘する場面も多く、サブクエストもストーリー性をもった繋がりのあるものが増えたことでより「ハイラルに住まう人々の営み」を感じられるように作られている。

復興を目指し前作より人の往来が活発なためか、異種族同士が集まったグループも多い。この辺りもこの世界に生きる人たち同士の力強い絆を感じられる。

このような事細かくNPCの営みが描写される世界で生まれる小さな困難に、ウルトラハンドを使って解決へ至る過程はまさに社会貢献のそれだ。
ウルトラハンドで問題を解決することは、単に自分の頭でパズルを解くというメタ的に成功体験を得られて楽しいというだけではなく、このハイラル世界の中で自分のアイデアを具現化し、それによって人に貢献できるという模擬的な社会への貢献、人との繋がりを持つ喜びを体感できるのだ。現在絶賛無職引きこもりのわたしには、このゲームは「よくできた社会復帰シミュレーター」にも思えるほどだった。

本作のラストにはリンクがゼルダに手を差し伸べるシーンがある。ラウル、賢者たちと繋いできた手が最後にゼルダに届く、オープニングで届かなかった手が届く印象的なシーンだ。そしてエンドロールの終盤にはリンクが繋いだ数々の手が映し出される。「TotK」はウルトラハンドで人と繋がるシミュレーター作品なのだ。
わたしは感情移入してプレイするタイプなので、NPCの存在感が大きい今作のシナリオはかなり好みでモチベーションにも繋げる事が出来た。賢者の力が使いにくいなどの細かい問題はあったものの、前作とのシナリオ面でのベクトルの違いはかなり良い方向に働いていると感じた。

まとめ

「神ゲー」という言葉は安っぽい誇張表現のような気がしてあまり使いたくはない。しかしこれ以上このゲームを表現する言葉が見当たらない。誇張表現ではなく、本当に最高の作品だった。わたしのようなゼルダシリーズのファンでもなく「BotW」しかやったことがないニワカでも「プレイしてよかった」と心から思えた。それも10年、20年に1度と言っても良い間違いなくゲーム史に残る作品だ。そんな作品をリアルタイムでプレイできた事がとても幸せに思う。ありがとう任天堂。


おまけ:印象的なシーンのSSと一言コメント

前作は季節で言うと初夏のような青々としたフレッシュな空気感が伝わるライティングだったが、今作の空島は晩秋のようにアンバーみが強い光が差して日陰が伸び自然の中ながらも退廃感を演出していると思う。黄色い木の葉も銀杏のよう
悲しいシーンなのにこの満面の笑みに笑ってしまった
走り屋の聖地イチカラ村で公道最速を目指して開発したマシン。見かけによらずカーブ性能は高いが高すぎて操作性が悪いのが難点
急にSEKIROみたいなことやらすなや!と思ったシーン
黒龍ガノン戦のラストは明らかに「ワンダと巨像」のオマージュだと思う。よろけながら頭に登って、光が漏れる弱点にちっぽけな剣を突き刺す。しぶきを上げながら倒れていく様も巨像そのものだと思った。「ワンダと巨像」の上田氏はかなりゼルダの伝説をリスペクトしてゲームを作っていたらしいが、ポジティブにお互いのオマージュがあるのはすごく良い事だと思う。
このシーンのBGM、ソニアとラウルが手を合わせる時にいい感じにクラップが2回挿入される。今作は手と手の繋がりを重要なテーマとして作られているらしいのだが、音楽ではそれをクラップで表現していて、メインテーマのサビ前にも挿入される。すごくエモい。
前作での才能が芽生えない苦悩、タイムスリップして"また"大切な人たちを喪った悲しみ、人格を失い何万年も剣を抱えてリンクを待っていた覚悟などを踏まえるとゼルダの精神的成長は凄まじい。主人公だ。
このゼルダの手を掴むシーンをプレイヤーにやらせるセンスがすごく好きだ。この右手でいろんな人と繋がりを持って、泪の記憶を見てゼルダを助けたいってプレイヤー皆が思っているであろうシーンで、最後にゼルダの手をプレイヤーが掴む。それもパラシュートのないスカイダイビングでだ。こんな良い演出はない。

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