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実用的な努力と宗教的苦行

僕たちはどうしようもない現代に生きている、というより、どの時代に生きていても当時代はどうしようもないのだ。

周りの環境も僕も文化的に宗教とほぼかけ離れた世界で生きている。今は神、奇跡、神秘より人間の五感と理性が支配的な時代だ。人々は多くの出来事に、結果に、その理由を求める。そうして僕たちは信じられないほどのものを積み上げてきた。現代に紀元2021年に生きるということは紀元元年に生きることより物質的には明らかに楽だといっていいだろう。にもかかわらず、このおよそこの2000年間、いや、人間が理性というものを持ち合わせて以来であろうが、僕たちは苦しむことをやめない。苦しむ理由なんて本当はないに等しいかもしれないのに。自由と権利を与えられた人間は支配と義務を与えられた人間より幸せなのか?先人が血を流して手に入れたこの貴いものは如何ほど貴いのだ。それとも僕らは先人が流した血ゆえにこれを貴ばなくてはならないのか。

物質的な困窮の解決が現代の先進国で、僕たちは自分の人間性のありかを失った。農耕をして、狩猟をして、生きるために生きることを必要とされない僕たちにはその代わり生きるための理由が必要になった。そして生きる理由を見つける最も簡単な方法は苦しむことだ。遥か昔から行われている苦しみの作り方の一つが宗教だ、断食、祈り。僕は学がおよばずあまり多くの宗教的な儀式を列挙することができないがほかにも多くあるであろう。これほどの苦しみに耐えているのだからと人は自分の理性を説得して、神の、宗教的信仰の、正当化に何とか成功するのだ。苦しみが神の存在を、約束された来世や天国における幸せを自分の生きる現実よりも現実的なものにするのだ。

そして僕にはこれ現代の実用的?な努力においても全く同じに見える。多くの人が約束されていない未来を狂ったように信じて現在の苦行に耐え続けている。金銭的、時間的、肉体的な資源の寄付を行い、自ら望んで苦行を行うことによっていつか報われることを信じている。そうして自らを律して手に入れた幸福な場所と時間で、彼はまた苦しみを求めるのだ。彼は目標のために今を苦しむのではなく、今苦しむために目標を見つけなければならないのだ。苦しみに耐えている間、人は幸せなのだ。その後やってくるであろう幸せの絶頂を、そのエイペックスを想像することで彼は無上の幸せをてにいれる。

その誕生以来人は自由と権利を成し遂げ続け、現代は最も自由に過ごせる世界であることは間違いない。苦しむ必要がない現代で、人間は生きるために自分で苦しみを見つけるしかないのだ。

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