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わたしを表現すること

こんにちは。はじめまして。
nanoと言います。はじめてのnoteです。
 

ずっとはじめてみたかったnote。
だけど初投稿に何を書いたらいいか分からない。
ひとまずパソコンを起動し、お気に入り登録しているnoteを開いてみる…

おお、皆さん人を引き込む文章が上手い。
すごいなぁ。
…などと考えるだけで、「自分が投稿する」ということはあまり考えられずに時が過ぎていきました。


そんなnote徘徊人も様になってきた頃。
ある日何となく、「#初投稿」で検索してみると、もっと気軽に投稿してみるべし!という記事を何個も見つけました。
なんて初心者に優しいお言葉。


そうだよな、もっと肩の力を抜いていいのかも、本来ならば創作って自由なところから生まれるものだものね、うんうん、と思い至りました。

ならば取りあえず筆を取って見るべし!…ということで、勇気を出して立ち上がったところです。(皆さんはもっと気軽に投稿して下さい(笑))


下記にノートをはじめた経緯を記しておきます。
大それたものではないのですが。


小さい時から、手帳などに詞やその日感じたこと・何かの考察などを書き溜めることが好きで、学生時代はレポートなどの執筆した文章を先生や他の学生に意見してもらう時間が大好きでした。
私は自分の考えを即座に伝えることが少し苦手なのですが、意見やこだわりは人一倍あると思っていて、一つのことに対して突発的ではなく論理的に追究することの方が好きです。
だから、私の性格で自分を表現をするのならば、じっくり考えて推敲する「文章」が合っている、と常日頃から考えていました。


ですが、社会人になって数年が経ち、自分から何かを発信したり何かを意見したりする機会も少なくなってきました。自分を表現できることの喜びや、アウトプットしたことに対する反応を得るという、当時感じていた日頃の感動と学びが少なくなってきているように思えました。

上がる能力といえば、社会人の典型的なメールの返信能力や、私の苦手だった瞬時の発言能力とかでしょうか…これも本当に大事なことだけど。

自分の考えを発信する機会がなくなってしまって、ただでさえ自分から目立って発言するタイプでもないので、自分がどんどん小さくなる感じがする…それはなんだか寂しいな、と。
淡々とした日々の中で、何も考えず、ただ順応するだけの空っぽ人間になるのも嫌だ。

書くことで、ぼやぼやだった自分のフレームがしっかりしてくる気がする。「自分が確実にここにいる」という感じがする。               
このnoteで、自由に自分を表現して、幼い頃や学生時代のこの感覚をずっと大事にできたらなと思いました。



長々と書いてしまいましたが、上記がnoteをはじめた経緯です。
(いや長いぜ!こりゃ投稿するまでに相当時間かかったな!ーはい、そうです。おっしゃるとおりです...(笑))


とにかく漠然と書きたい…ウズウズ…としている状態なので、自分の好きな場所としてこの場所を設けたいな、と思っています。

自由に、ゆるゆると投稿していきます。
よろしくお願いします。

#初投稿
#日記
#あたらしい自分へ
#自己紹介

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