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ばかばかしいにもほどがある! ⇑くだらないエッセイ⇑

 知人のクリエーターがオススメしてくれた映画『シャークネード』を観た。まさに、「くだらないエッセイ」シリーズにぴったりのネタ満載だった。決して悪評価ではなく、むしろ私の中では好評価の部類に入る。 

 私は以前から、何事もない日常の事象がどのようになれば「ばかばかしさ」や「くだらなさ」を帯びてくるのか、その境界線に関心がある。この『シャークネード』という映画には、その疑問に対するヒントがある。書かずにはいられない衝動に駆られたので書いておくことにする。

※ 多少ネタバレがあるかもしれないのでご注意! ※

 映画のあらすじはこうだ。カリフォルニアを超大型ハリケーンが襲う。各地で海水が上昇し市街地も水に浸かる。氾濫した海水とともに、大量発生したサメが人々を襲う。この時点ですでに設定が不自然だが、まあ、アメリカのパニック映画だと思えばそれほど違和感はない。
 ところが、ここから異様な事象が発生する。各地で竜巻(トルネード)が発生するのだが、なぜかサメも一緒に空に巻き上げられ、空からもサメが人々を襲ってくる。上からも下からもサメが襲ってくるという恐怖。ハリケーンによる被害とサメの攻撃が収まる気配はない。
 どうやってこの事態を終息させるのか。そのアイデアがぶっ飛んでいる。竜巻は暖気と寒気の衝突で発生するので、渦の真ん中に爆弾を落とせば寒暖差が無くなり、竜巻は消滅する。巻き上げられたサメも同時に木っ端みじんにできるので一石二鳥だ。ということで、航空学校生の男がヘリコプターで竜巻に接近し、その渦の中に爆弾を投下することになる…。

 という破茶滅茶なストーリーだが、さて問題は、どの時点から「ばかばかしさ」を帯びはじめたのかということだ。竜巻という脅威と、サメという脅威、普通に考えれば全く関連の無い2つの事象が結びつくことによって「ばかばかしさ」が生まれてくるのかもしれない。
 タイトルの『シャークネード』を直訳すると『サメ竜巻』になるが、「サメのような竜巻」なのか「竜巻のようなサメ」なのかが重要だ。どちらか片方が襲ってくるだけでは単なるパニック映画なのだけれども、この映画では両方が襲ってくる。このあたりに「ばかばかしさの境界線」があるのだろう。
 この事例を参考にすると、中国大陸からやってくる黄砂に交じって、なぜか大量のスズメバチが襲来する、という、実にばかばかしいストーリーができそうだ。「スズメバチのような黄砂」と「黄砂のようなスズメバチ」の両方が襲ってくるのだ。この事態を終息させるには、巻き上げられる黄砂の中に原爆を投下し、その爆風で黄砂とスズメバチを吹っ飛ばす。または、黄砂が飛来する源のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠をコンクリートやアスファルトで埋め立ててしまえ。これにて一件落着だ。

 この映画の最後は、家族が壊滅した市街地を見渡すシーンで終わる。殺伐とした、なんとも後味のよくない終わり方なのだが、それをひっくり返すように、「シャーク! シャーク!(鮫! 鮫!)」と絶叫するエンディングテーマで幕を閉じる。いったい、なんやねん。ちなみにこのエンディングテーマのタイトルは、クレジットを見る限り『シャークネードのバラード』らしい。
 まさに『ばかばかしいにもほどがある!』と言いたくなる作品だ。こんな映画をオススメしてくれてありがとう。


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