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割れた定規。

小学2年生。

季節は今頃だっただろうか。

窓側から3列目、前から2番目の席。

算数の時間。

先生が出す問題に、手を挙げた。

指された私の解答は、不正解。


ここまでは、なんてことない授業のワンシーン。

『あちゃ〜、恥ずかしいなあ〜』

心の中でそう思って、終わるはずだった。

正解を出そうと、再び鉛筆を握るはずだった。


「ねえ、なんて答えたの?」

通路を挟んだ左隣の女子に、半笑いで聞かれた。

「なんでそういうこと聞くの、」

強がるようにそう答えた。

彼女がどういうつもりで聞いたのかは分からない。

純粋な疑問か、将又、意地悪のつもりか。

それは当時の彼女にしか知り得ない。

でも、その問いは幼い心を酷く抉った。

悔しくて、

悲しくて、

腹立たしかった。

それを言葉にできなかった代わりか、

感情に任せて割ってしまった定規が、悲しそうにこちらを見ていた。


****


『失敗や間違いを恐れずに!』

『間違うことは怖いことじゃない!』

大人はそう教える。

それじゃあどうして、『怖くない』と教えなければいけない?

それじゃあどうして、間違いが怖いと感じる?


私は、間違えることが怖いんじゃない。

間違いに対して、笑われる、馬鹿にされることが怖い。


教育を受けていた当時、どんなことを言われたか全てを覚えていないし、
今、学校でどのように教えているか分からないから、
もしかしたら「今更何言ってんだよ、」って思われるかもしれないが、

間違えを恐れるな、と伝えると同時に、

『人の失敗や間違いを笑うな』

と教えるべきでもあると思う。


7年ほど前に、嵐の櫻井翔さんも言っていた。

「人の失敗を笑うような大人にはならないで」と。




思い出したのを機に、
これまでを振り返り、
これからを改めよう。

人の失敗を、間違いを、笑うような大人にならないように。


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