3年前の宿題

 NumberWebで公開された記事の補足になります。
 できれば先にそちらをご覧ください。

 あらきっぺさんを初めて生で「見た」(会った、とは言いがたい)のは、2019年6月29日。

 第13回朝日杯一次予選、通称「プロアマ一斉対局」でのこと。

 対局の棋譜はこちら。
http://live.shogi.or.jp/asahi/kifu/13/asahi201906290701.html


 その日、関西将棋会館の前は異様な雰囲気に包まれていた。

 大阪でサミットが開かれている影響で、将棋会館のある福島の街が完全に封鎖されていたのだ。

 普段は交通量の多い関西将棋会館前は警察官がウロウロするだけで、車は全く走っていない。人通りも、ほぼない。
 お客さんが途絶えた飲食店の主人が警察官を捕まえて文句を言っていた。対応する警察官の制服には「徳島県警」と書いてあり、気の毒に思う。きっと応援に駆り出されたのだろう。

 関西将棋会館で仕事があるときにはいつも立ち寄って時間を潰す喫茶店は、この事態を見越して閉店しており、コンビニで紙コップのコーヒーだけ買って、かなり早いけどまぁ何とかなるだろと将棋会館の中に入る。

 一番乗りだった。

 3階だったか4階だったか、階段を上がったところに長机がぽつんと置かれていて、そこが受付だったが、誰もいない。明らかに早すぎた……。

 そのまま20分くらいコーヒーを啜りながら立って待っていると、一人、また一人と観戦希望の将棋ファンが集まってきた。

 このプロアマ戦を盤側で見るために集まってくる将棋ファンというのは、だいたいが非常にディープなファンで、つまりイベントでよく顔を見る間柄になる。特に関西のファンは、関東のファンよりも数が少ないので、受付前で並んでいた観戦希望者たちには不思議な連帯感があった。

「さすが白鳥先生。コーヒーも用意して準備万端ですね」
「へへへ……」(とっくに空になってる)

 自己紹介をしたわけではないが、そんな感じで声をかけてくれたり、昼休みには1階のイレブンでご飯を食べてたら隣の人と「さっきの将棋はすごかったですね!」と会話が弾んだり……ボッチで行っても楽しめるのが将棋イベントのいいところだ。

 そのうち職員さんがやって来て、確か1000円くらいだったかを払って、対局室へと案内される。安い。安すぎる。
 このお値段で、プロとトップアマの対局を、ずっと盤側で楽しめるのだ。しかも2階の道場ではプロの解説会も開かれていて、対局室と道場をいつでも行き来していいのだ。安すぎる……。

 5階の対局室に上がると、エレベーターホールの隅で、朝日アマ名人の横山大樹さんがまるで試合前のボクサーのような感じで椅子に座り込んでいた。
 目を閉じ、集中力を高めている。
 普通は俯いたりするような気がするが、横山さんはなぜか上を向いて目を閉じていたので印象に残っている。
 それにしても朝日アマ名人にいきなり遭遇するとは……サファリパークの入口で雄のライオンに出会ってしまうようなものだ。最初はシマウマとかフラミンゴとかでお茶を濁しそうなものだが、出し惜しみ無し。さすが朝日杯。

 横山さんとの遭遇でテンションが上がったものの、この日、私が観たい将棋は別のものだった。

 出口若武四段の対局だ。

 三段時代、新人王戦で藤井聡太七段と番勝負を戦った出口先生に注目する将棋ファンは多く、私と同じように次々と盤側に正座する。

 しばらくして、光沢のあるシルバーのスーツに身を包んだ出口四段が対局室に現れた。
 持ち物は全てピカピカ。
 鞄も新品に見えた。
 プロになって新調したんだろうか。それとも、誰かからのプレゼントだろうか。三段リーグを抜けたお祝いとして。

 するとそこに、くたびれたスーツを着たひょろ長い眼鏡の若者がコンビニ袋をガサガサさせながら登場。

 これが荒木隆さんだった。

 先に入室してリュックサックだけ下座に置いていたようだが、盤の前に戻って来たのはけっこう時間ギリギリだったような気がする。余裕あるな、と思った。

 そして荒木さんはなぜか箱ティッシュを持っていたように思う。コンビニ袋の中にはビビるくらい大量の水が入っていた。「そんなに細いのに、そんなたくさん水、いる?」と動揺した。十六茶の500ミリ1本だけの出口先生とは、あらゆる意味で対照的だった。

 荒木さんの名前はもちろん知っていた。
 直接ではないが、顔も見たことがあった。

『藤井聡太14歳』という番組を東海テレビが作成したのだが、そこには上座に座って藤井聡太三段と対局する荒木三段の姿が収められている。

 三段リーグにカメラが入るのは非常に貴重で、実は私は、実際の例会の取材をするどころか、点呼の映像しか見たことがない(しかも関東)。
 録画したこの番組を何度も何度も再生しながら書き上げたのが、奨励会編の最終巻となる『りゅうおうのおしごと!』12巻だ。

「よくあんな映像、撮れましたね?」
 撮影した東海テレビの奥田さんに仲良くなってからそう尋ねると、やっぱり「うーん……」と難しそうな表情をした。
 いい映像は撮れた。
 けど、本当に使ってよかったかを悩んでいる顔に見えた。
「荒木さんは年齢制限で、あれが最後の三段リーグになったから……」

 史上最年少で奨励会を駆け上がってきた14歳の少年が、大先輩を三段リーグで華麗に抜き去る瞬間をカメラに収めたのだ。荒木さんの退会というおまけ付きで……残酷であればあるほどテレビ映えするけれど、だからといって撮影した当人が葛藤を抱かないわけがない。

 ただこの時の様子を奥田さんが撮影してくれていたおかげで、今回の記事には当時の写真を使うことができた。荒木さんも「奨励会で対局してる写真が残ってることって貴重」と言っていた。本心だと思う。

 さて、対局である。

出会って4手で角交換

 荒木さんは後手を引き、一手損角換わりに進んだ。
 同門の糸谷哲郎八段が得意とするが、糸谷先生が得意とするということはつまり、癖のある戦法だ。
 何のためらいもなく角交換したから、後手番での予定の作戦だったのだろうけど……大丈夫なんだろうか?

 対局姿を見ていると、荒木さんはあんまり大丈夫そうじゃなかった。
 とにかく苦しそうなのだ。
 予定の作戦のわりにはいっぱい時間を使うし、何だか苦しそうに動く。とにかく動く。

 棋譜コメントにも「荒木アマが後頭部の髪をつかむ」「荒木アマがグラスの水を飲み干す」「荒木アマが考慮中に一度前髪をかき上げる」「荒木アマはあおいでいた扇子を(以下略)」等々、荒木アマの動静を伝える言葉が大量に残っている。

 案の定64手目に、荒木さんは持ち時間を一方的に使い果たした。棋譜をご覧いただければわかるが、対局は146手まで続く。
 相手はまだ半分以上も時間を残しているのに……。

前のめりな荒木アマと大量の水

 盤側で対局を眺めるというのは、解説会やスマホで盤面を見るのとは全く違う。素人には形勢がぜんぜんわからない。
 道場へ下りて解説を聞くか?
 けれど荒木さんから目を離してはいけないような気がした。
「形勢はさっぱりわからないけど、とにかく最後までこの人を見届けよう」
 いつのまにか私は、出口四段ではなく、荒木さんを見ていた。

 そして極めつけの行動を荒木さんは取る。

 一分将棋の中で席を外すと、慌ててトイレに駆け込む……のではなく、部屋の隅で盤を睨みながら、屈伸を始めたのだ。

 びっくりした。

 しかし記録係も、そして手番の出口先生も特に気にする様子はない。え? 将棋界ってこれが普通なの? 気になって対局後に観戦記者の諏訪景子さんに「屈伸してたんですけど……」と伝えると驚いていたので、やっぱりびっくりした俺は正しかったんだと、ちょっと安心した。

 屈伸の効果があったのか、一分将棋の中でも荒木さんは崩れず、勝ちきった。

 当時の荒木さんのブログ(https://arakippe.com/archives/asahiopen-20190629.html)。ちゃっかり私も登場している。

 あまりにも対局中の仕草が面白くて、私はこの対局の様子をツイッターで連投しようと思った。目の前で繰り広げられた名勝負を自分の筆で多くの人に伝えたいと思った。実際に記事も書いて、その際に書いたものが今回のnoteの下書きになっている。
 けれど投稿する前に、考えを改めた。
 
 私の本業はラノベ作家であり、だから取材で得た一番よい部分は、作品に使うべきなのだ。

 あの屈伸シーンは、当時執筆中だった『りゅうおうのおしごと!』12巻で、年齢制限の迫った奨励会員が勝負所で見せる仕草として登場している。
 荒木さんの姿を見なければ、対局中に屈伸するなんて考えつかなかったし、仮に書いたとしても嘘くさくなっていただろう。

右側の真ん中分けが屈伸します

 観戦後、私は荒木さんのツイッターアカウントを探し出してフォローし、この日の対局が素晴らしかったことを伝えた。
 そしてそれ以降も荒木さんのことを静かにウォッチし続けた。
 この人、また何か変なことしでかすんじゃない? そんなワクワクした気持ちがあった。
 いずれ荒木さんに関する何らかの記事を書きたいという気持ちもあったが、それはまだ漠然としたものだった。
 ごくごくたまーにリプするくらいで、DMやメールを送ったりはしない。
 取材対象とは敢えて距離を取り、素のままの姿を長期間にわたって観察する。
「推しと喋りたいんじゃない。空気になって、推しが誰かと仲良く喋ってるのを、部屋の隅からただじっと見ていたい……」
 そんな気持ちだ。観る将には私みたいな人が多い。

嬉しそうな表情で解説会を後にする荒木さんと、ブレブレな出口先生の手

 あの朝日杯から1年半ほどして出版されたのが『現代将棋を読み解く7つの理論』だ。

どんな本かは荒木さんのブログに詳細な記事(https://arakippe.com/archives/seven-theories.html)があるので、そちらを読んでいただくとして。
 


 ものすごい衝撃を受けた。

 朝日杯で屈伸してる荒木さんを見た時も衝撃だったが、この本の衝撃はそれを軽く上回る。

『平成(令和)新手白書』の著者であり、森門下の兄弟子であり、東大出身のプロ棋士である片上大輔七段のこの言葉に勝る賛辞は無いと思う。


 荒木さんはプロになれなかったし、東大を出たわけではない。
 けれど『7つの理論』はプロ棋士と東大という2つの難関を突破した片上先生をしてこう言わせるのだ。これはそういう本だった。
 とにかく独特なのだ。
 そして、向こう見ずな若さが溢れていた。
 自分の言葉で将棋そのものを再構成しようという稀有壮大な試みは、棋士というよりも作家や研究者の発想に近いと感じた。

 インタビューしてみたいと明確に思ったのも、この本を読んだタイミングだった。
 アマチュア棋士としてではなく、元奨励会三段としてではなく、作家としての「あらきっぺさん」に興味を持った。唯一無二の存在として。
 この人の目に、現在の将棋界はどう映っているんだろう? 現代将棋を象徴する藤井聡太という棋士は、どんな姿に見えているんだろう?
 聞いてみたいことがたくさんあった。

 さらに荒木さんの破天荒な行動は続く。
 将棋ソフト『水匠』との100日間連続対局だ。
https://arakippe.com/archives/suisho-100day.html

 囲碁の世界ではコンピュータと対局するのは割と一般的な練習方法のようだが、将棋の世界でそれをやっている人は、そんなに多くないと思う。
 少なくとも、長期間ソフトと対局して、こんなふうにブログ記事にまとめてくれた人は他にいない。とても貴重な記録で、読んでいて身体が熱くなった。

 しかも直後に電竜戦で、その成果を『ソフト相手に後手番で千日手』という形で披露している。

 この時の衝撃は映像に残っている。

 解説の都成先生と室田先生もびっくり。そしてもっと盛り上がる開発者陣。やべー。(23:40あたりです)

 当日の荒木さんのブログ(https://arakippe.com/archives/denryu-sen2.html)。千日手狙いは戦略だったが、だからといってそれができるのはヤバい。


 こんな感じで、荒木さんに聞いてみたいこと、荒木さんについて書くべきネタは、どんどん溜まっていった。
 あとはタイミングだ。

 そして2022年3月。
 出口五段が叡王戦を勝ち進み、もしかしたら藤井叡王へ挑戦するかも……というタイミングになって、「時は来た」と感じた。「役者が揃った」とも。

 ツイッターのDMで荒木さんに「取材させてほしい」と初めて連絡した。
 最初は小説のための取材と言って2時間ほど話を聞かせてもらったが(実際に小説に必要な話を聞いたが)、その時にはもう、頭の中で記事がほぼ完成していた。

 どの媒体で発表するかも(私の中で勝手に)決まった。

 いつも好き勝手書かせてもらってるニコニコニュースさんでもいいけど、荒木さんのストーリーはNumberWebさん向けだと思ったし、書き手としての「あらきっぺさん」も、スポーツやビジネスのライティングの世界が似合う人だと思ったから。

 自分が仕事を得たいという気持ちよりも、「あらきっぺさんが、もっと書く場を得てほしい」という気持ちが強かった。お節介だけど。でもインタビュー記事を書く動機って、取材対象を自分の手で世間に売り込みたいというお節介な気持ちが大事だと思う!(自己肯定)

 だから今回の記事の目的は、アマチュア棋士としての荒木さんではなく、「書き手」としてのあらきっぺさんを知ってもらうこと。
 あらきっぺさんの書いた本や、将棋の記事を、多くの人に「読みたい!」と思ってもらうこと。

 あのインタビューとこのnoteを最後まで読んでくださったあなたが今、そう思っているなら、とても嬉しいです。

 ちなみに『現代将棋を読み解く7つの理論』も『終盤戦のストラテジー』もKindleの読み放題に入っているようです。お得だね!

 でも、できればマイナビ出版さんのサイトから買ってあげてください。きっと担当編集の會場さんが喜びます。

 今回のインタビュー記事は、実は2度のインタビューを1本に再構成している。
 もっと言えば、本当は2万4000字くらいあった記事を、1万8000字に圧縮している。いつものように調子に乗って書きすぎたら「うちは1記事6000字上限でやってっからさぁ……」と怒られてしまった。それでも3本も記事を掲載してくれたNumberWebさんは優しいと思う。

 いつか完全なものを読んでもらいたいという気持ちもあるが、ようやく荒木さんのことを書けて少しホッとした。3年間放置していた宿題をやり終えたような感覚というか。

 とはいえ私の本職はラノベ作家であり、自分の仕事という意味では、ここからが本番だ。

 荒木さん……いや、あらきっぺさんから教わったことが小説にフィードバックされるのは『りゅうおうのおしごと!』17巻からになる。いま必死に書いてます。
 小説のために私があらきっぺさんから聞いたのは、現代将棋についてではなく、もっとずっと未来の将棋について。10年後、100年後、そして将棋というゲームがどんな終わり(結論)を迎えるかについて。人はいかに人としての感覚をアンインストールすべきかについて。
 現実世界では無責任な妄言と一笑に付されるかもしれない。だがライトノベルという思考実験の場であれば、書くことは許されるだろう。
『りゅうおうのおしごと!』1巻を出版したときも「こんなことが現実に起こるわけがない」と笑われたが、私には、そう遠くない未来に起こりえるラインを狙って書いた感触があった。
 そして今回も、似たような感触を得ている。

 もし興味を持っていただけたら、衝撃の屈伸シーンも収録された12巻と一緒に読んでいただければ幸いだ。
 とはいえ続き物だからいきなり12巻から読んでもストーリーが掴めないし、どうせなら1巻から……アニメをご覧になった方は6巻からでも大丈夫ですよ?

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 ※セール期間は2022年5月25日までとなります。ご注意ください。

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