短評・「罠」(1949年、ロバート・ワイズ 監督)の因果性と「勝利と敗北」(井上梅次 監督)のメロドラマ

シネマヴェーラ 「罠」1949年、ロバート・ワイズ 監督。面白かった。原題「Set-Up」は劇中のセリフから推測すると「出来試合」つまり「八百長」のような意味になるようだ。年齢の壁に突き当たったボクサーが八百長試合に巻き込まれる。最初の雑然とした導入をぼーっと観ているうち、どんどん主人公の立場が浮き彫りにされてゆき、試合、クライマックスに到るシナリオ的な流れはかなりおもしろい。ところでこの作品、既視感があるように思ったが、以前同じ劇場で観た井上梅次 監督「勝利と敗北」の元ネタのようだ。八百長のため試合に負けろといわれてあえて勝つという流れ、最後に悪役が控え室に入ってくるシーン、誰もいないスタジアムなど、そっくりだ。しかし落とし方や味わいはそれぞれ違う。「勝利と敗北」主人公の川口浩はチャレンジャーで若く、ヤクザの安倍徹と関わって出来試合を強いられる。川口に対して三田村元 演じる選手年齢ぎりぎりの先輩が対置され、その妻は夫にボクサーを止めてもらいたがっている。「罠」の主人公の要素を二つのキャラクターに分割したようなかたちとなっている。しかしながら「勝利と敗北」の川口浩は若いので、「罠」のような苦い勝利の結末を経験することはなく、あるいみ情に流されたメロドラマ的な展開で救われることになる。「罠」のような切れ味の結末、「ひとつのものを得るためには別のものを犠牲にしなければならない」といったような劃然とした因果性は、日本映画に皆無とはいわないが、日本的メロドラマとはどこか適合しないのかもしれない。