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気が付けばそこに哲学が~足の裏に影はあるか?ないか?~

入不二基義さん著「足の裏に影はあるか?ないか?」を結構前に読んだので、メモを残しておく。

本書は哲学エッセーというべきもので、日常の中にある様々な疑問に対する哲学をまとめたものだ。

面白かった点

面白いと思った点は、一見異なるものを対象にしている話でも、根柢のところでは同じような議論をしていたところだ。

例えば「地平線」はそれを超えようと進んでもまた新しい地平線が現れるため、「地平線に外はない」。同様のことが「私たち」という言葉にも言える。日本人としての「私たち」を考えたとき、「私たち」の外には外国人という概念が生まれるが、同時に地球人としての「私たち」も生まれる。このように、「私たち」という概念は二つのものを分割して定義されるが、その分割の土俵に立つと、新しい「私たち」が生まれる、という工程が繰り返されるため、「私たち」に外はない。

このような言葉遊びがたくさん出てき、混乱しながらも、なんか面白いなと感じた。

また、最後にはプロレスの話が展開される。プロレスはほかのスポーツとは違い、ある種のパフォーマンス性を帯びている。それについての考察をしていたが、その際今まで論じてきたことがちらほら出てきていて、面白い構成だなと感じた。

足の裏の影と物理学

本書のタイトルにもなっている「足の裏の影」についての哲学に触れたい。

これは著者が息子さんとの対話の中で生じた疑問で、「足を浮かせている限りは足の裏に影はあるが、地面についた状態の足の裏には影はあるのか?」というものだ。

結局著者の意見としては「(地面と接触した)足の裏は、影があるとかないとかの次元にない」ということだった。これについてもなかなか面白い話であったが、私が注目したのは、著者が挙げた影はある派としての想定意見だ。

それは「足を浮かせた状態では影はあるのだから、それを無限に地面に接近させたとしても足は浮いているのだから、影はある」というものだ。

今考えたいのは理想的な接着なので、これは少々ずるい意見である。しかし、これとよく似た論法を「物理学」は行っている。

例えば、現段階で理想的な絶対零度を実現することはできない。が、それに限りなく近い温度を実現することはできる。物理学の理論ではいまだに実現できていない絶対零度下での現象を記述しているし、実験から確認できていると考えられている。

しかし、それは本当に良いのだろうか?という視点を著者は示しているように思えた。この例は正確ではないかもしれないが、物理学と哲学の姿勢の違いを感じられたと思う。

本の読み方

本書の内容に直接関係はないが、私は「本の読み方」を改めたほうがいいのではないかと考えた。

本書について、ほかの人はどのように考えているのかを知ろうと思い、インターネットで検索してみた。すると、本書を全面的に批判するような書評を見つけてしまった。その方は数学を深く勉強しているようで、論理的な間違いをいくつも指摘していたのだ。

私は面白い話だったなーとなんとなく思っていたが、それは本の内容をしっかりと理解したうえで得られた感想ではなく、表面的にしか理解できていなかったために得られたものだったのだ。

これを踏まえて、私は「批判的」に本を読めるように意識していきたいと思う。ここでいう批判的とは、著者の意見に対してすべてを否定していくということではなく、著者の論理を検証していくという意味である。

用いられる根拠は正しいのか、あいまいにしている議論はないのか等、よく考えながら読んでいくことによって、より理解は深まり、面白さを見出すことができるのではないだろうか。

そのためには、その分野についての知識を持つ必要がある。そういう目標をもって読書していこうと思う。

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