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第五章 二 百年カエル

「託未、早く起きなさい」母の声がした、と同時に。
「お兄ちゃん、早く起きて」弟が僕のお腹の上に馬(うま)乗(の)りになってきた。
「痛い! 真一どいて!」と飛び起きた僕は、今の状況を理解するのに、暫く時間がかかった。
「お兄ちゃん、痛いやんか」と僕に突き飛ばされて、倒れたままの姿の弟が眼に入った。
「真一」と叫び、思わず弟を抱きしめた。
「お兄ちゃんやめて」と弟は振り払おうとしたが、僕は力一杯抱きしめて離さなかった。
そこに、
「託未、何やってんの」と姉が来た。
僕は、弟を離して、立っている姉の足にしがみついて泣いた。
「はなして」と姉が叫んだ。
その様子を見て、
「託未、怖い夢でも見たんか?」と母は聞いた。
僕は我にかえり、姉の足を離して、夢?
あれは夢だったのだったのか?頭の中が混乱してきた。
さっきまで僕はヒキガエルだった。
「あ、ヒキガエル」
今度は、慌てて外に飛び出し、家の周辺りを何度も行(ゆ)き来(き)してヒキガエルの姿をさがした。
縁(えん)側(がわ)の下、裏の桶(おけ)の回り、排(はい)水(すい)口(こう)の溝(みぞ)の中や花壇、下の昔畑だった場所、だけどヒキガエルはどこにもいなかった。
もしかしたら、しきみを取りに行った裏山にいるかもしれないと思い、怖さも忘れて裏山に走って行った。
確かこのあたり、昨日僕が掘っていた木の場所を見た。
その場所には大きな穴が開いていたが何もいなかった。
家に戻ると、母たちは帰る準備をしていた。
「託未またどこに行ってたん、ほんまにあんたは落ち着きのない子やな」とまた姉に叱られた。
母の話によると、僕は昨夜、風呂も入らず、寝間着ねまきにも着替えず、縁側で寝ていたそうだ。
しかたがないので、そのまま布団まで運んで寝かせたと言っていた。
そうなのかな? 夢だったのか?
何が何だかわからないまま、もう大阪に帰るのだ、急に寂しくなった僕は無言で、リュックサックに自分の着替えを入れて、帰る準備をした。
荷物を持ち坂道を降りながら、提灯(ちょうちん)のかかっていた家の方をチラッと見た。
提灯はもうなく、縁側の扉も閉められていた。
「もうこの家も誰もいなくなってしまったな」祖母はポツンと言った。
「あの写真の女の人、子どもがいたよね」と僕は祖母に聞いた。
「いたよ、男の子が一人、文子さんは戦争で旦那さんを亡くして苦労していた、一人息子は戦争で亡くなった旦那さんの家の跡(あと)を継いで上富田(かみとんだ)に住んでいる、昨夜(ゆうべ)は来ていたけど、今朝(けさ)早く帰ってみたいやな」と教えてくれた。
確か昨日、八十八歳で亡くなったと言っていたな、ヒキガエルの僕が初めて文子に会った時、七歳か八歳くらいだったから、あれから八十年か……ふとそんなことを考えると、なぜか胸がキューンとした。
帰りの車の中で、僕は昨夜あった出来事を話した。
大きなヒキガエルに会った事、僕がヒキガエルになった事、藤松さん、ぎんさんに会った事。
でもみんな夢の話しとしてしか聞いてくれなかった。
「面白い夢を見たな」と言うだけだった。
藤松さんは養子だった事、戦争のとき山に戦闘機が落ちた事などの話しをすると、祖母は驚き真顔になって、
「本当に不思議な夢をみたね」と言った。
僕もなんとなくあれは夢だったのかなと思えてきた。
 
夏休みも終り、嫌な学校がはじまった。
宿題は姉に助けてもらい、なんとかすませる事ができた。
絵を描くことだけは好きで里の風景を描いた。
里の家と藤松さん、ぎんさんと八人の子どもたちと、ヒキガエルの絵だ。
その絵は、夏休みの思い出コンクールで最優秀賞さいゆうしゅうしょうに選ばれ、初めて表彰されて、豪華な絵の具をもらった。
けれど、イジメは相変わらず続き、いじめっ子三人組は僕を蹴(け)ったり、たたいたりしてきた。
ある日トイレで、三人がかりで便器に顔を押し付けられ、水をジャージャー流された。
僕はただジタバタするのが精一杯だったが、その時カエルだった頃の事を思い出した。
あの頃は蛇にだって勇(ゆう)敢(かん)に立ち向かっていった。
こんな奴らに負けるものかと、トイレの便器の水を口の中に含み、顔を上げた瞬間に奴らの顔をめがけてブーッと吹いてやった。
「ワー、きったな」と叫びながらいじめっ子たちは逃げ出した。
僕はトイレの道具置き場から掃除用具そうじようぐのモップを手にして、追いかけ殴りつけようとしたが、駆けつけた先生に止められ、思わずカエルのようにピョンと跳ねた。
先生には叱られたけれど、僕に対するイジメはなくなり、学校は居(い)心(ごこ)地(ち)よい場所に変わっていった。
勉強も分からないながら取り組めるようになり、成績も少しずつ良くなっていった。
そして、毎年盆に里に行ったときに、ヒキガエルのいそうな場所を探して歩いた。
もうひとつ僕が里に帰ったとき、欠かさずするようになった事は、仏壇の前に座り手を合わせる事だ。
藤松さんとぎんさんの写真に、「ただいま」と言い、帰る時には、「行ってきます」と心の中で呟いた。
 
中学生になってからは、サッカークラブに入部して、成績もクラスで五番くらいになっていた。
夏休みに入っても部活をしたり、友達と遊んだり、勉強もあったし、もう里には行かなくなった。
 
僕は、無事に志望した高校に入学でき、入部した美術部から出品した絵画が、全国高校文化展で金賞をもらった。
それがきっかけで美術大学に進み、まんざらでもない人生を歩んでいた。
そして、あの小学校四年の夏に経験した、不思議な出来事の記憶も薄れていった。
 

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