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第五章 一 百年カエル

「痛い!」 僕が寝ている土を、誰かが掘り起こしつついてきた。
痛いということは、僕は死んでないのだ。
あれからどれくらいたったのだろう。
ヒキガエルになってどのくらいたつのだろう。
ヒキガエルってそんな長生きするものなのかな?
僕は薄々気付いていた。
『百年家を守る』と、ぎんさんと約束した。
多分僕は、百歳になるまで死ねないのだろう。
動物の本能というのは実に恐ろしいもので、動くものを見るとミミズだろうとゲジゲジだろうと舌が勝手に伸びて食べてしまう。
なんと、卑しいのだろうと自己嫌悪じこけんおにおちいりながら、とりあえず身体中についた泥を洗い流そうと考え、家の裏にある水桶にチャポンと入る気持ちよさを想像しながら、フフラフラと山を降りて行った。
家の裏に行くと、大きなスイカが水桶を占領していた。
なんとかスイカの隙間にでも入ろうとしたが、足の先くらいしか入れない。
スイカをどけようと四苦八苦していると、部屋の中から話し声が聞こえてきた。
排水口もなくなり家の中に入る事も出来ない。
今度は窓の中を覗こうと、スイカの上に乗ろうと、やはり四苦八苦してなんとか乗ることができた。
思い切り身体を伸ばして中を覗こうとしたが、見えるのは天井に吊ってある電燈くらいだった。
開いていた窓から話を聞こうと、耳を澄ませた。
「雨が降ってきそうやで、堰堤まで行くと言っていたけど、順子ら大丈夫かな」
「もう帰ってくるやろ」
「母たちが来ているのだ……とすると中で話しているのは、お爺ちゃんと、お婆ちゃんかな?」そんなことを考えていた時、いきなり雷(かみなり)が鳴(な)った。
僕は驚(おどろ)いてスイカから滑り落ち、そのまま床下に転がり込んだ。
床下で頭の中を整理してみた。
藤松さんと、ぎんさんが天国にってから、僕はいったいどのくらい、寝ていたのだろう。
家の中の様子だと、祖父と祖母が来ている、母も来ているようだ。
母に会えるのだと思うと少し嬉しくなった。
しばらくするとバタバタと足音がして、「ただいま」と声がした。
「雨が降りそうや」母の声がした。
僕は床下から覗いてみた。
慌てて洗濯物を取り込んでいる、まぎれもなく母だった。
嬉しさに我を忘れて飛び出しそうになったが、その時突然、大粒の雨が降り出し、母は家の中に入ってしまった。
「雨だ、雨だ……」のそのそと床下から這(は)い出し、久しぶりの気持ちのいい雨に打たれながら散歩がてら、下の幸子の家まで行ってみた。
幸子はぎんさんが、亡くなる少し前にすでに他界(たかい)して、文子と一人息子の俊一(しゅんいち)が住んでいるはずだった。
見ると玄関に提灯(ちょうちん)がたくさん並んでいた。
「初(はつ)盆(ぼん)だ、誰か亡くなったのだ。」
誰が亡くなったのか気になり見つからないように、家の脇に隠れ様子を伺(うかが)いながら、のそのそと玄関の方に近づいて行くと、縁側の扉が開けっ放しになっていた。
縁側のへりにぶら下がり、目だけを出して家の中を見た。
部屋の中には誰もいなかった、中央に祭壇さいだんがつくられ、その上に果物やお菓子が並べられている、真ん中に飾られていた写真は文子だった。
文子が死んだのだと察した。
僕は文子の写真を見ながら、この光景を見たことがあると思った。
「あの日だ、僕が小学校四年の時に、里に来ていたあの日と同じ光景だ」と思い出した。
こうしてはいられない、急いで家に戻り床下に潜り様子を伺った。
もし人間の僕が来ているとしたら……と思うだけで、頭が混乱してきた。
「だって、僕はここにいるのだし……でも人間の僕がいたなら、カエルの僕は誰? それとも、人間の僕は存在していないのか……」
と考えているうちに不覚にも眠ってしまった。
「ああ、なんということを」慌(あわ)てて床下から出ると、外はもうすっかり暗くなり、家には誰もいなくなっていた。
庭に出てみると、太鼓の音が聞こえてきた。
盆踊りが始まったのだ。
「文子の初盆だ」僕はどうしても文子を送りたかった。
それに、母に会えるかもしれないと思い、寺の前の広場に行ってみた。
寺は暗く広場には誰もいなかった。
そうか、今は寺の前ではなく、新しく出来た公民館の広場で、盆踊りはおこなわれているのだ。
この階段を降りていくのは大変だ。
長い間寝ていたせいで身体もなまっているし、でもここであきらめるわけにもいかない。
階段を降りようとしたその時、寺の広場がパッと明るくなった。
驚き振り返ると、今まさに盆踊りがはじまっていた。

わいのじっちゃん 鉄斧かつぎ
夜明けとともに 山仕事
炭焼き小屋で 夜を明かし
灰の中から いでたるは
これが自慢の これが自慢の
熊野ゆかしき 備長炭
 
わいのばっちゃん 竹かごかつぎ
今朝もはよから みかん山
てしおにかけて 育てれば
やがて実のなる 白い花
これが自慢の これが自慢の
熊野香り かぐわしみかん
 
じじさばばさん 今は もう
おてんとさまの 国に住み
仲むつまじく 達者かい
子供八人 孫二十
熊野の里に あの山々に
しわくちゃ笑顔 夕陽に浮かぶ


寺の縁側に座り、唄っているのは一郎で、二郎が隣で太鼓を叩いていた。
その隣に藤松さんもいるではないか。
「ああ、ぎんさんに、義一、綾子もいる。
よね婆、みきさん、いくさん、とし婆」懐かしい人たちが、輪の中で踊っていた。
幸子の隣で、朝顔の浴衣を着た、文子も踊っていた。
僕は嬉しくなって、転がるように駆け出し文子の隣で踊った。
「ああ、文子変わらず可愛いな」思えば僕の初恋だったのかもしれない。
どれほどの時間が過ぎたのだろう。
ハッと我に帰ると、僕はひとりで寺の隅にいた。
さっきまでいたみんなは、どこに行ったのだろう。
空を見上げると変わらず満天の星が輝いていた。
「また、夢を見ていたのかな?」僕はフラフラと、もときた坂道を登っていった。
家にたどり着くと、誰かが縁側に座っていた。
その姿を見て、僕は身体じゅうの血の気が引くほど驚いた。
縁側で座っているのは、まぎれもなく人間の僕だった。
呑気(のんき)にそんなところに座りやがって、
「お前は誰だ……僕が託未だぞ……お前は誰だ……僕が託未だ、僕が託未だ」と何度も泣き叫びながら、ヒキカエルの僕は、目の前のもう一人の僕に突進て飛びかかった。
ゴーンと、頭を打ち気が遠くなっていった。
 

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