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第五章 三 百年カエル

平成二十七年(二〇一五年)、三十歳になった僕は、京都に住み、大学で講師をしながら絵を描いている。
五年前に結婚して四歳になる娘がいる。
姉も結婚し、七歳と五歳の息子がいる。
弟はまだ結婚していないが憧れていた、テーマパークの整備士になり頑張っている。
娘も大きくなったので、里を見せたいと思った僕は、姉家族と、祖父と、祖母と、相変わらず元気な母と、和歌山の祖母の里に行こうということになった。
母たちは空き家になっている家の管理があるので毎年行っていたが、僕自身は十数年ぶりになる。
愛車に乗り込み、妻と娘を乗せて朝早く出発した。
携帯(けいたい)電話(でんわ)という便利な物があるので、姉たちと連絡をとりながら高速道路を走った。
ちょうど紀ノ川サービスエリアに着いた時、姉からメールが入った。
「紀ノ川サービスエリアには何時頃つきそう?」
僕は運転をしているので、妻が連絡係りとなり。
「今着きました」と返事をすると、
「私たちも、今着いたよ」と返事があり、僕たちは紀ノ川のサービスエリアで合流した。
姉の子どもたち天成と仁成が僕たちを見つけ、
「涼葉ちゃん」と呼びながら駆け寄って来た。
久しぶりに会う従弟たちに少し照れて娘の涼葉は僕の後ろに隠れた。
後ろに隠れると言ってもまだ背が低いので、僕の足の後ろに隠れたというほうが正しい。
恥ずかしそうに僕の足の隙間から、元気に駆け寄るふたり見ていた。
側まで来た天成が、
「涼葉ちゃん、なんで隠れているん、おばあちゃんがソフトクリーム買ってくれるって、早よ行こ」と涼葉の手をひいて、母のところに走って行った。
子どもたちはすぐに馴染なじみ、ベンチに座り暑さで溶けてゆくソフトクリームを口のまわりにベトベトつけながら、必死で食べている。
その横で姉が、テッシュペーパーで子どもたちの口を必死でふいていた。
そんな光景を見ながら、ああ平和だなとふと思った。
それからトイレに行き、一路(いちろ)里に向かい車を走らせた。
 
高速道路は、子どもの頃いつも昼食をとるために立ち寄っていた、紀南パレスを通ることもなく、田辺を通り越し、上富田かみとんたまでつながっていた。
紀南パレスはまだあるのだろうか?釣堀でおじさんたちは、今も魚を釣っているのだろうか?ふと、そんなことを考えていた。
結局、僕は一度もあそこで魚釣りをすることはなかった。
国道三六五号線は、トンネルが掘られて、新しい広い道がつくられていた。
木々が多い茂り、昼間でも暗く狭い、山道を通ることもなく、わずか二十分ほどで到着した。
里も途中まで車で上がれる坂が出来ていた。
その坂は車が一台やっと入れるくらい狭く、傾斜も急だけれど、寺まで一気に登る事ができ、あの長い階段を登らなくて済むので荷物を運ぶのも随分(ずいぶん)楽になった。
それでも、寺からの坂道は荷物を抱えて登った。
坂道を登りながら、ふと母に、
「紀南パレスはまだあるのかな?」と聞いた。
「私も気になって、去年の夏、帰りに昔の道を通ったら、廃屋はいおくになっていたよ、高速道路ができて、あの道は車も走らなくなったから、たぶんもう取り壊されたかもしれない」そんな話を聞き、時代の流れなのだなと、僕は少し寂しい気持ちになった。
荷物を縁側に置き、姉の夫で、僕の義兄あに義兄になるわけだが、その義兄と二人で車を川原に止めに行った。
義兄はここに来るのは初めてだったので、川原まで僕が先に誘導して車を止めた。
川原から寺の階段の下に行くだけでも、二百メートルほどの坂道が続く。
ふたりで他愛もない話をしながら、坂道を登った。
義兄は小学校の教師をしていて、どちらかといえばアウトドア派で、家族でたまにキャンプなども行くそうだ。
ここもすごく気に入った様子で、
「川で魚釣(つ)れるかな?」と僕に聞いてきた。
正直、僕もよく分からなかったので、
「どうだろう、魚釣りはしたことがないけど、メダカとかサワガニは一杯いるよ」と答えると、
「釣り竿持ってきたから、あとで川で釣りをしようと」と義兄ぎけいは嬉しそうに言った。
「やろう、やろうと」と僕もワクワクしながら、寺の長い階段を登って行った。
家に入ると相変わらずカビ臭い匂いがしたが、この匂いも懐(なつ)かしく思えた。
仏間の仏壇の棚には、藤松さんとぎんさんが、縁側に座っている写真が今も飾ってある。
ああ、この写真は初めて東京の靖国神社に行くときに映した写真だ、いい笑顔。
祖母はもう、お参りしたのだろう、線香が立てあった。
僕は少し照れくさいので、みんなに気付かれないように、こっそりと手を合わせた。
十数年ぶりになるな、正確には十六年ぶりくらいかな?
「ただいま、ご無沙汰しました」と心の中で呟いた。
僕があの不思議な体験をしてから実に二十年の歳月が過ぎていた。

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