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第五章 四 百年カエル

母や姉、妻も手伝い、大急ぎで布団を干していた。
僕も手伝いながら、庭や家の裏に、やはりヒキガエルはいないかと探した。
大好きだった裏山は、鹿やイノシシが降りてきて畑を荒らすので、有刺鉄線ゆうしてっせんがはられて、行くことできなくなっていた。
残念だったが、母が作ってくれた、おにぎりを持って、さっそく子供たちと川に行った。
川は昔のままで、それほど深くないので、子どもたちが遊ぶには丁度よかった。
都会のプールとは全く違う、水の冷たさや川の流れに、初めて触れた子どもたちの、歓声(かんせい)が山間(やまあい)に響(ひび)きわたった。
おにぎりを食べたあと、少し奥の岩場あたりで、義兄(あに)が持ってきた釣り糸をたらした。餌(えさ)はなんと竹輪(ちくわ)だった。
僕(ぼく)自身(じしん)も、里の川で釣りなどした事がなかったので、釣れるのだろうか?と半信半疑はんしんはんぎでいたら、ほどなく竿か引かれ釣り上げると、なんと、二十センチもあるだろうと思う白い魚がつれた。
義兄が「うぐいだ」と言った。
それからわずかの間に、三匹も同じ魚が釣(つ)れた。
持っ来ていたバケツに入れると、中を覗(のぞ)き込み子どもたちは、大はしゃぎしていた。
それからしばらく、サワガニを見つけたり、おたまじゃくしを捕まえたりして遊んだが、帰る時に、「お家に返してあげようと」子どもたちに言い、バケツの魚たちはみんな川に逃がした。
その日の夜は、恒例のバーベキューをした。
七輪に炭をおこすのは大変だが、そこは、アウトドア派の義兄が得意とするところで、手早く炭をおこし、みんなで肉やウインナー、野菜を堪能(たんのう)した。
バーベキューのあとは、花火をして、一日で夏の遊びのすべてをやりつくしたかのように、さすがに疲れ果てて、大急ぎで風呂に入り、九時頃には全員(ぜんいん)が眠っていた。
あくる日は、母が茶粥ちゃがゆを作ってくれた。
懐かしい味に、朝から三杯もおかわりしてしまった。
その後、墓参りに行った。
線香を供え、大人たちが手を合わせているのを見て、涼(すず)葉(は)は不思議そうに、
「おとうちゃん、なにをお願いするの」と聞いた。
「涼葉のズーっと前のお爺ちゃん、お婆ちゃんがこのお墓の下に居るから、お願いじゃなくて、元気で大きくなりました。ありがとうと、言うんやで」と教えた。
涼葉は、甥たちと三人で並んで、目を閉じて手を合わせた。
「そう言えば、佳津奈は、いくつになった」母が突然姉に尋(たず)ねた。
「もう、三十四やで」と姉が答えると、
「お爺ちゃん、お婆ちゃんが亡くなってから、もう三十四年になるねんな」と母はポツリと言った。
 
墓参りの後は、散歩がてらにみんなで堰(えん)堤(てい)に行った。
堰堤は子どもたちには深く危ないので、泳ぐのをやめて、炭焼き小屋があった場所まで行った。
炭焼き小屋は、すっかり風化(ふうか)してもう形もとどめていなかったが、風景(ふうけい)はほとんど変わらず、川の浅瀬(あさせ)からは、昔と同じように、新しい水が生まれていた。
地球が誕生してから、四十五億年がたったと言われている。
考えるとその時から、地球にある水の量は変わらず、幾度(いくど)も転生(てんせい)を繰り返している。
この水は四十五億年前の水なのだ。この水を恐竜たちも飲んでいたのだろうか。
そんなことを考えながら、僕は地球から今生まれている、水を子どもたちと一緒に見ていた。
暫く浅瀬で遊んだ後、もと来た道を帰りながら、
「前になっちゃんが来たとき、栗栖原くりすはらの山の上に、お洒落な民宿があって、美味しいランチを食べに行ったと話していた。そこにランチ食べにいこ」と母が言い出した。
なっちゃんとは、『夏子』と言い、母の妹で、たまに里に来ていた。
みんなで、行こうということになり、母は祖父と祖母を呼びに帰り、僕たちはそのまま川原に行き二台の車に分れて乗り込み、寺の階段の下で母たちを待った。
ほどなく母は祖父と祖母を伴(ともな)い寺の階段を降りて来た。
僕は三人を車に乗せて、来栖原を目指し走りだした。
母が話していた、お洒落な民宿は、来栖原の川を山の方に渡り、車で二十分ほど山を登った頂上近くにある、『高原たかはら』という民宿だった。
山小屋風の小さな建物で、建物の前に駐車場(ちゅうしゃじょう)があり、僕たちは車を止めてさっそく中に入った。
入口を入るとすぐに、柱や梁(はり)がむき出しになっている高い天井の広い食堂があり、広いテラスもあった。
テラスの真ん中には大きな木が立っていて、無(む)造(ぞう)作(さ)に花が植えられ、手入れをしている庭といった感じがなく、自然のまま放置しているようなその庭は、いい雰(ふん)囲(い)気(き)を出していた。
テラスから見た風景は、山すそに霧(きり)がかかり幻(げん)想的で、その霧の中に僕たちが今来た、トンネルが小さく見えた。
あのトンネルをくぐり、向こうの山の、そのまた向こうの山に里がある。
さっきまでいた場所をこんな風に客(きゃっ)観(かん)的(てき)に見ていると、改めてすごい場所に里はあるのだなと思う。
まるで、あのトンネルは異世界に続く迷路のようだ、トンネルを抜けると、そこは百年前
の世界だった。
などと考えて、自分で自分を笑った。
みんなも言葉もなく、景色を眺め、母は興(こう)奮(ふん)してやたら携帯で写真を撮っていた。
僕たちはテラス近くのテーブルにみんなですわり、ランチを食べた。
ランチは山菜をベースとした素朴なもので、とてもおいしかった。
お腹もすいていたこともあってか、子どもたちもきれいに平らげてしまった。
高原をあとにして、栗栖原のスーパーにより、夕食用お寿司を買い、さっき高原から見えていた、トンネルをくぐり里に向かった。
車の中で子どもたちは寝てしまい、今夜(こんや)は盆踊りが行われるので少し寝かしていたほうがいいと姉たちと話し、抱きかかえて家まで運んだ。
 
拡(かく)声(せい)器(き)から、「本日は予定通り公民館で盆(ぼん)踊(おど)りが開催(かいさい)されます、みなさん参加してください」と放送が流れた。
昼ねをしていた、子どもたちも起きてきた。
順番にお風呂に入り、みんなでお寿司を食べた。
食べ終わる頃、
「ただ今から、公民館で盆(ぼん)踊(おど)りが開催(かいさい)されます、みなさん参加してください」と再び拡声器から、放送が流れた。
母は、姉、妻、涼葉の浴衣を持ってきており、女性陣は浴衣に着替え、意気揚々いきようようと、すっかり暗くなった坂道を懐中電灯で照らしながら、公民館に向かった。
広場では盆踊りが始まっていた。
伊勢音頭、念仏音頭、相変わらず一本調子でおじいさんが唄う声に合わせて日の丸の扇をヒラヒラさせて、里の人たちや町から帰郷している人たちが踊っていた。
さっそく、母は先頭にたち踊りの輪に入っていき、娘や甥(おい)もその後に続き、姉や妻は母たちが一周して戻ってきた頃に、
「早く踊り」とせかされ、ようやく輪の中に入っていった。
簡単な踊りなので、初めての妻もすぐに覚えて、上手に踊っていた。
そんな光景を見ていると時が戻るような不思議な感覚におそわれ胸が熱くなるのを感じ、僕も輪の中に入り踊った。
祖母は、同級生の正(まさ)代(よ)と、ふたりで仲良く椅子に座りなにやら話している。
また、昔話しでもしているのだろう。
祖父はその横に座り僕たちを、ニコニコしながら見ていた。
盆踊りが終わり、子どもたちは、お菓子の入った袋とジュースをもらい、大事そうに抱えていた。
大人たちも僕も、ちゃっかり貰った。
いくつになっても、こうゆう物を貰うのは嬉しいものだ。
そして、恒例の提灯流しが行われる。
今年は、祖母の遠い親戚の初盆だったが、少し足が悪い祖母は提灯流しには行かず祖父に支えられ、姉家族と一緒に、妻と涼葉も先に帰った。
僕は母とふたりで提灯流しに参加した。
提灯流しとは言っても、今は川に提灯を流す事はできなく川原で燃やす。
もう、ユラユラと川を流れて行くあの幻想的な、ロウソクの灯りを見る事は出来ないのだ。
提灯流しが終わり、公民館に戻ると、数人の人たちが盆踊りの片付けをしていたので僕と母は手伝った。
手伝いが終わり、懐中電灯で足元を照らしながら坂を登り家のすぐそばまで来た時に、ふと目の前に何かいるのに気がついた。
懐中電灯をあてよくみると、大きなヒキガエルが居るではないか、ヒキガエルは鎮(ちん)座(ざ)したまま僕をじっと見ていた。
「おお……」と感嘆(かんたん)の声をあげて走り寄り、その場にしゃがみ込んで、ヒキガエルを覗(のぞ)き込んだ。
ヒキガエルは顔をあげ、僕を見て「坊主(ぼうず)、大きくなったな」そう言ったような気がした。
母もヒキガエルの前にしゃがみ込んで、
「ああ…この家の守り神さんや」と言って両手を合わせて拝んだ。
僕はずっしりと、重い身体を両手で抱きあげ家の中に運んだ。
まだ起きていた子どもたちも大きなヒキガエルに驚いた。
僕の手の中のヒキガエルは、ずっと仏壇(ぶつだん)の方に顔を向けていた。
そうか……藤松さんとぎんさんに会いたいのだ僕はそう感じ、仏壇の前に座布団(ざぶとん)を敷きその上に座らせた。
そんな様子をみて涼葉が、
「お父ちゃんなんで、カエルさん座布団に座らせているの」と僕に聞いてきた。
「カエルさん、この写真の人に会いたいって」
「この人たち涼葉のずっと前の、おじいちゃんおばあちゃんやん」
「そうやで、カエルさんとはずっと昔からの友達やねん」
「フーン、そうか友達なんか」
母も、ぎんさんがどれほど、ヒキガエルを大切にしていたのか知っていたので、
「そうや、昔のお婆ちゃんもカエルさんに会いたいって言っているわ」と言って笑った。
それでも、あの時と同じヒキガエルとは思っていないだろう。
そのことが分かるのは僕だけだろう。
仏壇の前に座ったヒキガエルは頭を上げて、藤松さんとぎんさんの写真をじっと見ていた。
名残(なごり)おしい気持ちはあったけれど、その場所にそのまま置いているわけにはいかないので、外に出してやろうと思い両手で抱えようとした。
ヒキガエルはまるでその場所から動くのを拒(こば)んでいるように、四本の足を踏(ふ)ん張(ば)り離れようとしない。
「明日帰るまで、ここにいさせていいかな?」とおそるおそるみんなに聞いてみた。
「いいんじゃない」と母が言い、母がいいと言うならしかたないといった表情で、みんなも承諾した。
妻は僕がそのヒキガエルを大阪に連れて帰ると言い出すのではないかと、心配していたようで笑いながらよかったという表情でうなずいていた。
ヒキガエルが勝手(かって)に外に出ていけるように、玄関の扉を少し開けて、僕たちは寝ることにした。
子どもたちは遊び疲れたこともあり、すぐに寝てしまった。
僕はカエルの事が気になり、なかなか寝付けなかったが、それでもいつの間にか眠った。
そして、ぎんさんと、藤松さんの足元に寄り添うようにいるヒキガエルの夢を見ていた。
ハッと目が覚め時計を見ると六時前だった。
ヒキガエルはどうしたのだろう?と思い仏壇の前に行ってみた。
ヒキガエルは、目を閉じて眠ってる……僕はそう思った。
まだみんな寝ていたし、もう少し寝ようと、布団に入ったがどうも気になり、また起き出して仏壇の前に行った。
動かないヒキガエルに、そっと触(さわ)ってみた。
ヒキガエルはピクリとも動かなかった。
そうか……百年だったのだ、ヒキガエルはぎんさんとの約束を果たし役目を終えたのだと、僕は思った。
ヒキガエルを膝にのせ、「お疲れ様、ありがとう」小さく呟くと涙があふれた。
最後に藤松さんとぎんさんに会いに来たのだ。
僕は小学校の時、経験した不思議なできごとを思い浮かべた。
本当にヒキガエルになって、藤松さんや、ぎんさんと暮らしていたのか、それともこのヒキガエルが見せた夢だったのか……今でも分らない。
でもあのできごとがなければ、今の僕はなかっただろうと思う。
しばらくすると、天成が起きて来て僕の側に来ると、不思議そうに、
「託未にいちゃんなにしているん?」と聞いてきた。
「カエルさんが天国に行ったよ」と僕が答えると、僕の膝でグッタリしているヒキガエルを見て、眠そうにしていた眼を大きく見開き驚いた表情を浮かべ、僕の隣に寄り添うように座った。
その内にみんなも起きて来て、何をしているのだろうと思ったのだろう仏間に集まった。
僕が説明する事もなく、天成がみんなに説明をしてくれた。
みんなは膝の上で目を閉じて、動かなくなったヒキガエルを暫く無言で見ていた。
祖母や母はずっと守り神様と思ってきたのだから、それぞれに思う事があっただろう。
いつまでもこのままでいるわけにはいかないので僕は、
「庭に埋めてあげよう」と言い、ヒキガエルをかかえて庭に出て、昔、梅干し小屋があったあたり、里の景色が一望できる庭の隅にヒキガエルを埋めた。
「桂子や順子、姉さんや弟にもよろしくのら、いつか産まれる子どもらにもよろしくのら」
と言った、ぎんさんの言葉が頭をよぎった。
その言葉が今やっと理解できた。
ぎんさんの玄孫、僕の娘の涼葉だよ。
それから姉の息子、天成と仁成、藤松さんにも見えるかな?
そんなことを心の中で呟きながら、ヒキガエルの埋めた場所に大きな石を置き、
「百年間、家を守ってくれてありがとう」と言い手を合わせた。
子どもたちも「ありがとう」と言いながら手を合わせていた。
そのあとみんなも手を合わせた。
大阪に帰る用意も整い、帰り際に藤松さんと、ぎんさんに挨拶しようと、仏壇の前に座り手を合わせた。
 
ふと顔を上げて、藤松さんと、ぎんさんの写真を見ると、ふたりの間にヒキガエルが満足そうな顔をして座っていた。
 

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