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多様性の時代に多様性を教える
街中に、ドラァグクイーンのポスターを見つけた。
子「ママ、あの人綺麗だね。」
「そうだね、あれ男の人だよ。」
子「え、何で男の人?お化粧もしてるよ?」
(そうだよねぇ…)
さて、多様性はどうやって教えればいいか。
男の人だって言わなかったらスルーできたのかと思ったけど、せっかくだから私はしばらく考えた。
「あのね、男の人でもスカートを履いていいし、ママだってズボンしか履かないでしょ?(スカートなんて履いていたら子どもを追いかけられないし、寒いからなんだけど)」
子「男の子でもスカート履いてもいいの?」
「いいんだよ、あのね、みんな何を着てもいいの。自由なんだよ。」
子「うんうん。」
***
私は自分に子どもができるまで、子どもは親が与えた服装しかしないと思っていた。
現にリンクコーデとかも存在するし、その場合はママが好きなものを子どもが着ているのだろうと考えていたのだ。
しかし、自分の子どもはそうではなかった。
私が選んだ服でも、自分の好みでないものは着ないのだ。
何なら着心地まできちんと考えているようだ。
子どもも、自分の好みという世界を持っていることを、我が子のおかげで初めて知った。
子どもだからなんだろうけど、自分の好みという基準から離れたものは、少し貶したりすることも多かった。
その度に「そんなことないよ、あれだって素敵だよ。」とは言ってきたのだけれど、多様性という線で考えるととても教えやすいことに気づいて付け足した。
「あとね、みんなが何を着てもいいのと同じくらい大事なことがあるの。」
子「何?」
「みんなが何を着てもいいってことは、みんなが正解なんだよ。だから、誰かが着ているものを“あれ変だよね“って言ったりするのはダメなの。」
(あ、まだ大事なことあったわ。)
「だけど、変だなって思うことは仕方ないんだよ。ママだって、ママの好きじゃない服を着ている人がいたら、あれは変だなぁって思うかもしれない。
だけどそれを、“それ変だね“って言うのはダメなんだよ。だってそれは、その人の正解だから、変なんて言われたら悲しくなっちゃうでしょ?ママの正解とは違うってだけで。」
子「分かった!」
今にして思えば、自分の意見を述べることは別にいいことだった。
理論的に説明できることであれば、こういう理由があるからそれはどうかと思うって、言うのはアリだな。
じゃないと意見を交換なんてできない。
ダメなのは人に何かを言う時に、自分の好みを押し付けるのは良くないってことだ。
難しい。
それはまたいつか話すとして…分かってくれたのだろうか…。
こういう時、話しながら『これ言うならこれも』と自分の中に出てきてしまって、話が複雑になってしまって良くないな、といつも思う。
***
そんな話をした翌日、子どもは目の覚めるような色の車を見てこう言った。
子「あんな車いる?いらないよね。」
「ほら、そういうのだよ。」
子「あ…なるほど!」
少しは分かってくれたようだ。
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