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教室の後ろのロッカーの上、木製の本棚と溢れた本
何して生きてる?
最近本読んでない
本を読むのが好きな子どもだった。
母親が2週間に1回図書館に連れて行ってくれるのを楽しみにしていた。
家の本も読んだし、幼稚園で月一回絵本をもらえるのを楽しみにしていたし、学校では教室の本も図書室の本も読んだ。お金はなかったので借りてばかりいた。
小学生の一冊の文字数が少ない時は多分月に20冊、高校生のときでも最低月に10冊くらいは読んでいたと思う。もっぱら日本の現代の小説ばかりだったけれど。
そんな中で一番、良かったなぁ貴重だったなと思い出すのは学級文庫だ。
いや、正確には違うかもしれない。学級文庫とは別に担任の先生がセレクトして置いてくれていた通称「まえやん文庫」というものがあった。
高校の時の担任は現代文の先生だった。趣味は陸上と読書。自費で買った私物の本を持ち込んで後ろのロッカーの上に30冊くらい置いてあった。
生徒に読ませたい本なんだろうな、というものあったが大半は先生の趣味だった。同じ著者のものが複数あったし、近代の小説が7割、教育・人文社会系の新書が3割と偏っていた記憶がある。一ヶ月に一回くらい数冊増え、たまに減ったりしていた。
家の本棚が溢れていると言っていたから、置き場として利用してた側面もありそうだった。
私はその先生と趣味があった。まえやん文庫にある本を優先して読むようになった。幼稚園からカウントして8年近く通った図書館に飽き始めていたし、まえやん文庫にはハズレがなかったから。
高校を卒業して、図書館の本棚の前に久しぶりに立った時、勘、がなくなっているのを感じた。
高校のときもたまに図書館へ行ってはいたが、もっぱらまえやん文庫で出会った著者の他の作品を探すという使い方をしていた。だから、自分の力で新しい出会いを探した時、途方に暮れてしまったのだ。
そうして、「あれはとても幸せなものだったんだな」と思った。
先生が選んでいるから、文章の質が一定以上あることが約束されている。レベルも当時の私が十分読めるもの。生活している、生きている社会の空気感をある程度共有している。そして何より趣味が合う人でもある。
オススメの本を教えてくれるサービスはたくさんあるだろうし、友人などに聞くこともできるけれど、まえやん文庫には敵わない。
ほとんど本を読まなくなった私がたまーに何か本が読みたいと思ったとき欲しくなるのは、教室の後ろのロッカーの上、木製の本棚から溢れるほど並べられた、いつかの日のまえやん文庫なのだった。
生きてる。
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