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「ありのままでいる」という感覚を体得した。

「ありのままでいい」という言葉の意味をやっと理解した。

他人と比べて、

もっと社会的に認められる資格を取らないといけないとか、

もっと可愛く、おしゃれにならないといけないとか

そういう、「自分をいじめながらの競争心」はもういらないんだ。



仮に、周りと比べたらすごいことではなかったとしても、

自分がやってみたいものの中で、

自分のペースで前にでも後ろにでも進めばいいんだ。


この感覚を掴むことはすごく難しい。

自分を見つめるときに、

いつも周りから見た、環境に適応している自分を見ていたから。

周りとの相対関係ではなく

自分単体を自分自身が見つめるのは

ものすごく難しい。


この感覚も、すぐ忘れてしまうだろう。

だから、人生、というか日常を過ごしている要所要所で

何度も思い出していく事が大事だ。


周りの評価や周りの環境の要請や、社会から求められてることは

気にしなくても、いいんだと。

というよりも、「気にしなくていい」なんて優しい言い方じゃなくて

むしろ

社会からの要請を一旦シャットアウトして、自分から取り払って、

自分を一人にしてあげて。



すごく曖昧で弱々しい感覚なのが

「ありのままでいること」

この感覚を、徐々に自分の中に根付かせていきたい。

私はわたしのままで。



たとえば、英語をうまく話せるようになりたくて

毎日英会話レッスンを受けている。

でも、練習しているうちに

まわりの、帰国子女とか

高校生の時に留学してて英語ペラペラとか

なんなら小さい頃から努力してて、英才教育とか受けてて

英語だけでなく5ヶ国語使えますという人とかに

出会うことになる。


自分が英語を極めたいってなると、自然とそれに関連した、

とくに英語に長けている人の情報が入ってくる。

そこで、

「よし、私も頑張るぞ」

となる日もあるけど、

そんな元気な日だけじゃないから

「ああ、いいなあこの人は。英語がペラペラで。私はもう20歳なのにどうしてこんなに話せないのかな、私だって頑張ってるのに」

と、、、なる。比べている。

「自分が英語を頑張る」という世界線と同じ線に

他人の英語能力を仲介させると、どうしてもこうなる。


つらい気持ちになる。

もう勉強とかやめたくなる。


こんなときに、「ありのまま」は使える。

どんなに英語が上手な人がいようが、トリリンガルだろうが、

それは外の世界の話で、

私に関係ない。

むしろ、気にしーな人にとっては

「外界の情報を排除」する必要さえある。


私はこの世界に一人だとして、

私は英語をスラスラ話せるようになりたいとして、

その願望のままに、練習すればいい。

30歳になるまでに達成したいならそれ相応の目標を立てればいいし

がんばるのがめんどいなら、もっとゆっくりやればいい。


あなたのことを誰も見下してないし、焦らせていない。

ほんとうは、自分が一番、自分をけなしてた。

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