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落ち着いて冷静に闘う(新聞記事への感想)

日経新聞に「サピエンス全史」の著者である、ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)氏が寄稿した文章が素晴らしかった。有料会員限定の記事になっているので、日経新聞社には対象記事を全体公開し欲しい。ただ、そうも行かないだろうから、私なりの解釈を書いておきたいと思う。(当然私のフィルタを経た内容になってしまうので、元の記事を参照できる人はそれを読んでもらうに越したことはないけど)

前提

非常時には、平時であれば長期間議論して決議する様な施策であっても、数時間で決定し実行されることがある。また、非常時にとった緊急措置は、その後の世界にも残り続ける

本題:私達は重要な2つの選択に直面している

①「全体主義的な監視」か「市民の権限強化」

国家の視点で新型コロナによる被害を食い止めるには、すべての人が一定の指針に従わなくてはならない。これを実行するためには2つの方法がある。一つは行政が市民を監視し正しい行動をとらない場合は罰を与える方法。もう一つは行政が市民に科学的な根拠や事実を伝え、市民が行政の伝える情報を信頼し自ずから正しい行動をとる方法だ。

■全体主義的な監視
科学技術の発展によって、行政が市民を監視することは可能になった。前提で記載している様に、緊急時に取った措置は継続されるのでこの方針を取った場合、市民は心拍、血圧、行動量に限らず、脳波などを含めて当局に提供せざるをえなくなるかもしれない。

■市民の権限強化
市民が正しい行動をとるためには、市民は科学、行政、メディアを信頼しなくてはならない。根拠のない信頼は気持ち悪いので、行政は情報をオープンにし市民にアクセスできる様にするべきだ、市民は情報と行政や、メディアの発表を比較し信頼できるか判断する必要がある。

よって、私達は根拠のない陰謀論や自分の利益のことしか考えていない政治家ではなく、科学的なデータや医療関係の専門家たちを信頼しなければならない。「これしか無い」と言う思い込みで決めた選択は我々の自由を奪うかもしれない。

②「国家主義的な孤立」か「グローバルな結束」

グローバルな視点で新型コロナによる被害を食い止めるために、国家が取りうる方針も2つある、自国を優先し他国との協力を拒むか、グローバルに結束するかだ、当然グローバルに結束できれば、新型コロナの被害を最小限に抑え今後発生する、災害や病気の流行などへも対応できる枠組みが作れるかもしれない。

感想

どちらの選択も、ベターな方針を選ぶには、部分最適化を捨てて全体最適化を考える必要があるのでは無いでしょうか。また、他者への信頼と言うこともキーワードになってくると思います。ただ、ベターな方針を選ぶためには、我々みんながしっかり情報を精査し、冷静に判断する必要があると考えます。こういった時こそ、慌てず、冷静に判断したいと思います。

#COMEMO #NIKKEI

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