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若林正恭『ナナメの夕暮れ』「現実をいきるための」に思う

前半は例えば、何かしらのスポーツで自分が応援しているチームが勝った時に自分のことのようにうれしくなったり、RPGで世界を救ったときにやはりうれしくなったり、握手券付きのCDを買って喜んだり、というようなことを著者は「ファンタジー」と呼んでいて「ファンタジー」の効用(パフォーマンス)が、効果(コスト)を上回らないようにすべきだということが書かれています。趣味で生活に彩を加えるのはいいけど、破産したり生活に悪性協を出しちゃ駄目よって話。

後半はさらに踏み込んで「ファンタジー」の意味は「筆者がかつて真実と呼んでいたもの」や、「人生の意味」なんかを含むものに拡張されます、そして、「ファンタジー」を利用しないと世界はあまりに味気なさすぎるから、「ファンタジー」を活用して生き抜くと宣言しています。

概ね「だよねぇ。分かるわぁ。」って感じなんですが、筆者は(ファンタジーを通さないでみる)事実は残酷で美しいと書いていますが、私としては「ファンタジー」をなくした世界は只々、無味乾燥なのではないかと思います。(この辺りはどこまでを「ファンタジー」と思うかによりそうですが)あんまり詳しく書くのは楽しい感じしないので、これ以上詳細は書かないです。

ただ、「ファンタジー」あってこその人生なので、何を選ぶのかってのは注意したいものですね。

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