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亡くなった父の誕生日に思う

明日は亡くなった父の誕生日。父の年齢はあの日以来止まったままです。

私ばかりが年齢を重ね、だんだんと父の年齢に近づいています。

父は早くに両親を亡くし、きっと父の兄・姉たちにかわいがられて育ってきたのでしょう。父の子供の頃の話は伯父、伯母たちから何度も聞かされてきたような気がします。そんな伯父、伯母たちもみんな亡くなり、もう誰からも父の子供の頃の話を聞くことはできません。

もうすこしちゃんと話を聞いておけばよかったなと思います。

父は、戦争中はまだ子供で群馬県の沼田に疎開していたと聞きました。いちど私が中学生の頃、父の案内で疎開先だった沼田を家族で訪ねたことがあります。その時聞いた戦争中の話は、遠い昔のことだと思って聞いていましたが、その時の父は今の私よりずっと若くて、私が今自分が子供の頃のことを思い出すよりも、父にとっての戦争はずっと近い時代に起こった出来事だったのだなと感慨深く思います。

父や伯父・伯母のように身近に日本の戦争を語れる人がどんどん少なくなっていくことが、とても心配です。

「攻撃されたら反撃すればいい」
「攻撃される前に敵の基地を攻撃しよう」

簡単に口にする人がいますが、その行き着く先は父が見た戦争よりももっと悲惨なことになるかも知れません。

どれだけお金をかけて軍事力を増やせば抑止に効果があるのか、誰にも具体的に説明できないのにやみくもに軍拡競争に足を踏み入れようとしているこの国に、過去の戦争で辛い思いをした人たちの声はどんどん届かなくなってきていますね。

戦争ではなく、戦争をしないための血の出るような不屈の努力しようと決意した人たちは、みんなもう手の届かない、声も聞けない過去の人となってしまったのでしょうか?

父が生きていたら、原爆で被爆した伯父が生きていたら、戦争中幼い兄弟を育てた伯母が生きていたら、今の世の中を見てなんて言うのだろうと考えます。

誕生日おめでとう。毎日ではないけれど、ちゃんと思い出しています。

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