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子供のころの埼玉の風景

私は埼玉県で高校生まで過ごしました。私の実家は、入間川と高麗川にはさまれた武蔵野台地の北端のはずれにありました。

私が住んでいた家の周りは雑木林に囲まれており、家のすぐ脇のちょっとした雑木林を通り抜けると小川が流れ、小川を挟んだ向こう側には一段低い広い田んぼが広がっていました。隣の家までは50m以上離れていて、お互い雑木林に隠れて見えなかったので、本当に一軒家のような感じでした。

近くの家は牧場を営んでいて、牛の鳴き声が聞こえてきました。遠くから鶏が朝を知らせてくれていました。

冬はとても寒く、秩父おろしの北風が吹きます。朝はしんとして冷え込み、霜柱を蹴倒しながら学校に通いました。通学路の途中では焚火をしている材木屋があり、友達とよくあたらせてもらいました。耳にしもやけができて大変でした。

春になると田んぼのあぜ道にはレンゲの花が咲き、花びらのふさをそっと引き抜いては端っこをなめて甘い蜜の味を楽しんだものです。
あぜ道から小川をのぞき込むとカエルの卵が寒天のようなものに包まれてたくさん見えました。やがてオタマジャクシがうじゃうじゃと卵からかえり、後ろ足、前足と生えてきて、カエルたちが育っていきます。
家から田んぼが近いので、初夏ぐらいからカエルの合唱が始まります。家の前を通る砂利道では、大きなヒキガエルが車にひかれて、かわいそうによく干物になっていました。

初夏から梅雨が始まるころになると、朝霧の中、通学途中の雑木林の間の道や、お茶畑の脇の道で、カノコガがひらひらと私の前を道案内してくれました。晴れていれば遠くに新緑の奥武蔵、秩父の山々が見えます。雨が降ると濡れた土の匂いと、若菜の匂いがあふれていました。

夏にはセミの合唱。ヒグラシ、ニイニイゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシが定番でした。夏の朝にはたくさんのセミの抜け殻が庭の植木にくっついていました。セミ取りは夏休みのお楽しみで、毎日のように捕まえては家の中の網戸にたからせて、ほっとくと家の中で鳴きだすので、母親にはあきれられていました。
早朝のカブトムシ、クワガタ採りも、子供の私にとってはワクワクする遊びでした。虫の集まる樹液のよく出る木は、私たちの宝物。酸っぱいような樹液の香りに私たちも引き付けられました。

夏の終わりが近づくと、小学校の校庭で盆踊り大会が行われます。遠くから聞こえる秩父音頭のおはやしが、夏休みの終わりを感じさせます。

秋になると、日が早く暮れて、家の周りではコオロギ、クツワムシ、ウマオイ、スズムシなどの大合唱が始まります。
近くの農業大学校まで、すがすがしく晴れわたった青空のもと、先生に連れられて紅葉の景色の写生に行ったのを思い出します。
やがて秋が深まり葉っぱの落ちた雑木林は、うっそうとしていた夏のころとはうってかわって寂しく乾いた感じがしたものです。

思い出してみると、本当に自然に囲まれて、四季を当たり前のように感じて暮らしていたのだと思います。

のどかな私の故郷は、今は高速道路が交差するベッドタウンと変貌しています。昔の航空写真を見ながら、あの時見たあの光景はどこだったのか、思いを巡らせるのも楽しいです。

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