尊重することと傾倒すること
ある人の意見を尊重することとある人の意見に傾倒すること、それは全く別物のような気がします。
それは人の意見を良く聞いて最後は自分で判断するのか、特定の人の意見を鵜呑みにするのかの違いに通じるものがあると思います。
ある人の自信と説得力に満ちた言葉、自分の考えに近い意見、カリスマ性、自分に対する共感などを強烈に示されると、その人に傾倒したくなる気持ちはわからなくもありません。
しかし、いつでもすべてを正しく判断を下し、正しい道を歩み続けられる人なんているのでしょうか?
試行錯誤を繰り返し、悩み、反省し、より良い道を選択しようとする人の、その努力を見守り、時には議論し、自分自身の意見も見直していくこと。それが他人を尊重するということなのかもしれません。
尊重は「信頼」にも似ていると思います。
私の考える「ある人への信頼」とは、その人の言うことを何でも正しいと信じることではなく、その人が正しい判断を下そうと努力をしてくれる人だと期待することだと思っています。
人を尊重し信頼するためには、人を思いやれる想像力が必要なのだと思います。
カリスマ的な独裁者に対しても、政治家に対しても、アイドルに対しても、誰にでも傾倒するのではなく冷静さをもって接する。そして世界中の名もなき市民同士の間では極力尊重しあうこと。それが平和への大きな原動力になるような気がしています。
政府や国家間の対立で思考を停止させたり、「xx人は信頼できない」などとひとくくりにしたりしないように自戒していきたいです。
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