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『The Days After 3.11』 復興で、地元が馴染みのない場所に :牛来美佳さん#2

福島県浪江町は、原発事故により一夜として廃墟と化した。
住民ゼロなので、そこはまるでゴーストタウンとなってしまった。

6年という長い年月を経て避難解除され、移住者を含め約2,000人がまちで暮らし(2024年現在)、少しずつではあるが活気を取り戻してきている。
その一方で、震災前のもとの姿に戻ることは難しく、どちらかと言えば全く新しいまちになっている。

「いつかまた浪江の空をの歌詞の中に、“元の未来探すけどどこにあるの”とあるけど、"元の未来"という言葉自体、この一言だけでも何かを物語っている表現だと思っています。きっと今後、どんどん新しい形で復興していくと思います。」

新しい浪江町として復興していく嬉しい気持ちがある一方で、近年どんどん解体が進んでいくふるさとを見て、思うことは沢山あるという。
イベントなどで浪江に戻ると「前はこの場所からあの建物は見えなかったな」というくらい、更地になっている状態だと。
復興とは、これまでの過去が無かったことになってしまうのではないか。そんな歯痒い思いを持っている人たちは沢山いるだろう。

「でもだからこそ、この曲は、新しく復興していく浪江町と私たちにとっての元の未来が、ずっと同じ軸で続いているような感覚です。バックグラウンドには震災のことはあるけれども、希望の歌、希望の気持ちなんです。だからこそ、ずっと未来まで残る曲であってほしくて、私も歌い続けています。」

浪江のシンボルになるくらい受け継がれる楽曲になりたい。
この心の中にあるもの、過去と未来のずっと交わることないような二重の線が、どこかで交わるようなものに。そんな想いを歌に託し、牛来さんは音を届けている。

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福島県双葉郡浪江町出身。
2011.3.11に発生した東日本大震災により被災。
居住地の浪江町が原発事故で全町民強制避難指示となり、 母子家庭として育てている当時5歳の娘と2人で最終的に辿り着いた群馬県にて避難生活を送る。震災当時は福島第一原子力内で 事務員として勤務。
本当になんともなかった当たり前の日常がなくなってしまった経験の中で、 伝えるべきことを伝えたい、伝えるための歌を歌いたいと決心し、幼少期に夢見ていたシンガーソングライターとしてデビュー。


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