さみしい夜にはペンを持て | 自分と折り合いをつける
タイトルを目にするたび、ああ読みたい、となっていた。
なぜなら、誰にでもさみしい夜はあるからだ。
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高校生1年生の頃、仲良くなった友達に勧められて、
ノートに気持ちを書き綴っていた。
人に簡単には理解してもらえない悩みや、
もやもやした気持ちを言語化していたように思う。
自分と他人との違いにうまく折り合いがつけられず、
学校をサボることは多々あった。
お揃いのものを身につけたり、トイレに一緒に行ったり、
とにかくグループ行動が苦手だった。
ここにいない子の悪口を言う風習も理解できなかった。
友達のことを嫌いなわけではないけど、ひとりにして欲しい。
そういう日があると、電車に乗って河原に行く。
3両しかない電車を降りて、改札を出ると、小さなパン屋がある。
そこでサンドイッチと飲み物を買い、まっすぐ河原に向かう。
買ったサンドイッチを食べながら2、3時間ぼーーっと川を眺めて、
気持ちの整理がついたら学校に戻ることもあったし、
そのまま友達の家に遊びに行ったり、アルバイトに行ったりした。
そんな日は、夜になると高校という社会に順応できていない自分に対しひどく落ち込んだ。
ノートを開き、落ち込んだ気持ちがマシになるまで言葉を吐き出すように書き、
布団に潜り込む。
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高1の冬、担任の先生公認で学校をサボった。
理由は、人間不信に陥ったのだ。
クラスの友達が仮面をかぶっているように思えて、急に怖くなった。
別にいじめられていたわけでもないし、クラスメイトとは仲が良かった。
でも、あたりさわりのない会話がほとんどで、
上っ面の付き合いが得意でない私は、
環境に順応できる自信がなくなってしまったのだと思う。
学校を公認でサボり、
ノートに気持ちを綴ることを勧めてくれた友人と、始発の電車に乗った。
海辺の町を目指し電車が走り出すと、私の悩みも遠のいていくように思えた。
潮風を浴びて、ラーメンやモナカアイスを食べた。
突如親切なおじいさんが映画のロケ地を案内してくれたのは驚いたけど、
楽しかった。
自分では解決できない悩みが生まれた時、
一旦悩みの種がある場所から離れることで、
自分を高いところから見下ろすことができる。
家に帰って、ノートにそのようなことを綴った。
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自分という人間が好きになれず、
上手に取り繕えない自分に落ち込んでいた時期のことを、
この本を読んで思い出した。
日記を書くという行為から久しく離れてしまっていたのだけれど、
ペンの代わりにパソコンを開いて日記をつけてみることにした。
現在2週間続いている。
日記をつけて自分と向き合うことは、
時に惨めな気持ちになることもあるが、
自分を受け入れる便利な道具だ。
多感な時期ではなくとも、大人にだってさみしい夜はあるから、
自分と折り合いをつけるため、今日一日感じたことを思い出す。
過去の自分を振り返るのも悪くないな。
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