短編『ほんとうの友達』#2
大鍋駅西改札前。 いつものように少し遅れてやってきた明美は、 紺と白の浴衣姿で髪を巻き何やらいい匂いを漂わせていた。 いつになく気合の入ったいで立ちに祥子は驚いた。
「ごめん、遅れちゃって」
「それはいいんだけど…その恰好って」
「新しく買ったんだ。さっき美容室にも行って髪もしてもらって」
「いやなんというかその」
「どう?似合ってるでしょ」
「似合ってるんだけどさ」
「何?さっきから。言いたいことあるならいいなよ」
「夏祭り、明日だよ」
「えっ」
明美は慌ててスマホを開き祥子とのLINEのトーク画面を開く。
「ほ、ほんとだ」
「まあでも、ね、明日ほら、髪は今日の形を覚えておいて…」
祥子は町内会の自治会長の父親の頼みで去年からこの大鍋神社の夏祭りの手伝いをしている。 父から今年は人手が足りないから友達を連れてきてほしいと頼まれた祥子は、明美に声をかけたのだった。
「でも、今日露店のテント貼ったりもするし割と身体動かすかも。」
「マジか」
「もうみんな作業始めてるからとりあえず行こ?」
「・・・。ごめん。私帰る」
「え、ちょっと明美!」
明美はくるくるに巻かれた髪をわさわさと揺らしながら駅の方に消えていった。 とりあえず早く神社に行って父に事情を説明しないといけない。人が一人足りないだけでも作業の進み具合に影響が出る。祥子は、 いつも使う交通量の多い大通りの道ではなく、駅の裏側から民家の間を縫うように進む近道で行くことにした。
小さい頃から親や先生から「駅の裏側へは近づくな」と言われてきた。今でも3か月に1回は駅の裏側へ行っていないか確認される。なぜ行ってはいけないのかとどんな大人に聞いても明確な答えは返ってこなかった。明美の家があの辺りにあることを知ったのは最近のことだ。 先週はじめて明美の家に遊びに行ったが特に変わった様子を感じなかった。 祥子はバレたら大人に怒られるかもと少し不安になったが、 特にためらいもなく少し早歩きで駅の裏側に向かった。
南東改札というほとんど誰も使わない改札口から、民家の間を抜けていく。 歩き出してから十秒ほどで祥子はすぐに違和感を覚えた。 さきほどまで周りは明るかったのに、この道に足を踏み入れた途端、一気にあたりが暗くなった気がしたのだ。 歩くスピードを落としてスマホを取り出し時間を確認するとまだ17時半だった。 8月の17時半にこの暗さはいくらなんでもおかしい。早くこの道を抜けないと大変な目に遭いそうな気がして、とっさに走り出した。 古い民家や木造の集合住宅が祥子の左右を通り抜けていく。どこからともなく獣のような臭いが立ち込めている。 祥子は走りながら、先ほどから感じていたもう一つの違和感正体に気が付いた。 窓がない。窓がないのである。改めて軒を連ねる家たちを見やる。 窓がない。それよりも驚いたのは、扉がどこにもないことだった。 大きい家も小さい家も、玄関がない。戸もなかった。家の形をした大きな箱。 先週遊びに来た時はこんなの気が付かなかった。どうやって暮らしているのか。 その瞬間、祥子の脳裏にこの無数の家々の中に大量の人間が閉じ込められ壁を叩きながら叫んでいる姿が浮かんだ。 とにかく走り抜けなければ、絶対止まっちゃだめだ。とにかく走った。 肺と足が限界に近くなっていたその時、遠くの方に大鍋神社の境内の灯りが見えた。 よかった、もう大丈夫だ。と気を抜いたその時、目に汗が入って視界が曇り、その拍子に足がもつれて祥子はばたんと転んでしまった。
走り続けていたらまだ走れたけれどこうなってしまったらしばらくは動けない。もう少しでこの怪しいエリアを抜けられる、あともう少し。 「祥子」 鈴虫の鳴き声が聞こえる。 「祥子、聞いて」 ゆっくりと身体を起こす。 「ねえ。夜に来ちゃだめだよ」
祥子は地面にお尻をつけたまま、呆然と明美の姿を見ていた。
「先回りしてたら、やっぱり来た」
「なんで、なに」
何から言ったらいいのか、何を聞けばいいのか祥子にはわからなかった。 「とにかく私たちの秘密を知ってしまったからには、死んでもらわなきゃいけないの」
「何それ」
「友達だし大好きだけど、ルールはルールだから」
「ちょっと何する気なの」
「あんたさ、この建物の中に何があると思う?」
祥子の脳裏に先ほどの映像がフラッシュバックする。 大量の人間が閉じ込められ壁を叩きながら叫んでいる姿だ。
「もしかしてさ、中にいるのは人間って思ってない?」
図星を突かれた祥子は、じっと明美を見た。
「私たちが人間だから、人間がいるって思いこんじゃうのよね」
「な、なに何が言いたいの」
ポケットから拳銃を取り出した明美は空に向かってパンと発砲した。 銃からゆらゆらと煙が立ち、やがて火薬のにおいが二人を包んだ。 遠くで犬の鳴き声が聞こえる。 どんどんその声は大きくなり数も増えていく。 波のように押し寄せる獣の叫び声。 祥子は立ち上がって今走ってきた道を振り返った。 家の壁を突き破る大量のシベリアンハスキーの姿がそこにあった。すべてがシベリアンハスキー。 家の大きさにもよるが平均して40頭程度のシベリアンハスキキーが壁を突き破っている。 彼らが壁を突き破った後にとる行動は一つしかなかった。それぞれが祥子への最短距離で一直線にが走ってくる。 後ろには明美。もう逃げ場はない。逃げたくてももう体力がなかった。 短い人生だった。お父さんは私に手伝いを頼んだことをきっと後悔するだろう。 先頭のシベリアンハスキーがもう目と鼻の先まで来ていた。 両手で耳を押さえぎゅっと目をつぶった。 十秒経ち、二十秒経ち、三十秒が経った。それからもう少し、あと少し。 どれくらいの時間が経ったのかわからなくなるくらい久しぶりに、祥子はゆっくりと目を開けた。
「おい姉ちゃん後ろ詰まってんだから早くしてよ」
目の前のおじさんが私に言う。 後ろの方から甲高い声で私を呼ぶ声が聞こえる。
「また後で来ます」
おじさんの不思議そうな顔をしているのはわかったが気にせず明美のもとへ向かった。
「あれ、買わなかったんだかき氷」
「うん、なんか今はいいやって思っちゃって」
「てか昨日ごめんね、手伝い来れなくて」
「え?」
「祥子のお父さんにも謝んなきゃ」
祥子は混乱した。 夢だと思っていたからだ。 夏祭りのかき氷の注文中に寝てしまい夢を見ていたと思いたかった祥子は、鼓動が早くなるのを感じた。
「明美、昨日の浴衣じゃないんだね今日は」
夢と現実の境目がどこにあるのかを探るように、それが悟られないように祥子は会話を続けようとした。
「明美?」
目の前の女は目を丸くしている。
「え?いや、昨日の浴衣似合ってたから」
自分が進んでいる方向が間違っていそうな気配を感じていたが会話を途切れさせることの方がこわかった。
「ねえ祥子、私は明美じゃない、美樹だよ」
「美樹?あ、美樹、だ。美樹だ」
じっとりとした粘っこい汗がにじみでてくる。
「うん、大丈夫?酔ってんの?」
「明美は?」
「ねえ、しつこいんだけど。あんたそれ本気で言ってんの?」
美樹はポケットから煙草を取り出し、火をつけた。 夏の夜の生温かい空気に苦い煙が溶けていくのを目で追いながら、祥子は言った。
「明美はどこ?」
美樹は眉一つ動かさずに説得するかのように言う。
「十年前、あんたが殺したんでしょ?」
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