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「なんとなく」

 「なんとなく」この言葉は本当に強く難しい、何故なら理由も根拠も無いのに選択肢を決めれるのだから。

 「なんとなく」フラれたとか「なんとなく」嫌われたとか「なんとなく」無理かなとか、当事者としてやられた方は本当にたまったもんじゃないと思う、反省とか改善とかそんなチャンスさえ与えられる暇もなくダメだと言われているのだから。

 社会人になるとそんなもんじゃない、自分の生活とかキャリアとか、永く長く続いていくモノに対してさえ、他人の「なんとなく」が影響する理不尽が付き纏う。
 どれだけ頑張っていても、「なんとなく」で成績や昇進を決められていたり、どれだけデジタルになり人事評価やキャリア評価がAIなどにより明確になろうとも、それでも他人の「なんとなく」に振り回されるている現代なのでは、と思っている。

 違う方向で考えれば「なんとなく」はポジティブな側面もある、「なんとなく」関わりたくないとか「なんとなく」今日は外に出ないほうが良い気がするとか「なんとなく」友達に会いたくなったとか、その虫の知らせ的な理由も根拠も無いのに、自然とそうした方が良いと感じて、そうしたら本当に助かった事も少なくない気がする。

 結局、色々思いを馳せてみたというか「なんとなく」妄想して分析をした様な振りをしてみたけれど、理不尽な「なんとなく」も神がかり的な「なんとなく」もその時の当事者がどう思い、どう解釈したかでしかないんだろう。
 何故なら、今この文章自体も何も考えず「なんとなく」書いている。
 

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