木曜17時半の友達

カラン、とジョッキの中の氷が鳴る。

「嘘つきは嫌い」  8月のまだ明るさの残る17時半、上野の大衆居酒屋に俊樹の低い声が嫌に響いた。早い時間だったので私たち以外にお客はなく、掻き消されることはなかった。

まあまあ、と宥める私の手元にはカラになって数分経ったグラスが汗をかいてボーッとしている。次の飲み物を頼みたいのだがこんな友人を目の前にしてはお酒は進むものではない。  「好きな人が出来たってなんだよ、あとは告白にOKを出すだけのくせに。邪魔になったんだよ、俺が」  俊樹はケッと吐き捨てるように言葉を続けた。「仁さん、生!」  この店の店長である仁さんは勢いに任せて得意でもないビールを催促する俊樹に、あいよと返事をしてから私の方を気にしてくれる。「私も同じので」今日はとことん付き合うと宣言してしまった手前、水やソフトドリンクに頼るのも忍びない。良くも悪くも私は下戸ではない。少なくとも目の前にいる友人よりは。  「二股掛けられる前で良かったじゃない。逆に誠実かもよ」  仁さんが言葉もなく音を立てないようにジョッキを置く。2人とも常連とはいえ、いたたまれないのはよく分かる。

さっきの言葉は紛れもなく本心だ。嫌味でも慰めでもない。恋人をキープしておいて他の男と(そこに愛情のあるなしに関わらず)関係を持たれるよりずっと誠実だと思う。「分かってないなぁ。告白待ちだったんだよ。その男と付き合えなかったら俺と惰性でも一緒にいたんだよ、きっと」  そんなものだろうか。私は愛情のなくなってしまった人と一緒に居られる性質(タチ)じゃないから全く想像できない。「…それでも良かったんだ。あいつが戻ってくるのは俺のトコだったから。刺激や盛り上がりはなくても幸せだったよ。」

本心だろう。浮かんでは消えるビールの気泡を見つめて懐かしむように俊樹は呟いた。ハァ、とため息をつく姿はまるで悲劇のヒロイン。(俊樹は男なので語呂は悪いが悲劇のヒーローといった方が適切かもしれない。)慰めてくださいと言葉にはせずともそれが溢れている。金色の上の細やかな泡たちはすっかり姿を消していた。  「好きだったのね、今も。」ぬるいビールは不味くなるので今のうちに飲んでしまおう。要らぬことを言う前に。

俊樹にバレないように腕時計を見る。いつもは楽しくて早く過ぎてしまう時間も今日ばかりは進んでくれなかった。やはりお酒は楽しく飲む方が良い。そんなことを考えていると、「お前はずっと友達でいてくれるよな」  まるでみんなで遊んだ帰り際、腕を掴まれて呼び止められるように目の前の友人に意識を戻される。良かった。時間を気にしていたのは見られていない。傷心と慣れないビールのおかげで俊樹は項垂れている。  「何言ってるの。当たり前でしょ。」  友達。その言葉にいつまで縛られるのだろう。これ以上欲張らなければ俊樹の戻るトコは私だし刺激や盛り上がりはなくてもお互い居心地は良い。愚痴も自慢も話せる友達。幸せと言っていいだろう。


目の前のつまみが無くなったタイミングで私たちは店を出た。夜とはいえ8月。まとわりつくような暑さがじんわり攻めてくる。飲み屋街を往く人々は赤提灯に誘われ浮かれ足だ。この国はまだまだ元気なのかもしれない。いつもなら2人でもう一軒行くのだがお互い明日も仕事があるのでお開きにした。「ありがとう、また近いうちに飲もうな。」「うん、今度は楽しく。」小さなジョークを交えて挨拶をかわし、点滅を始めた横断歩道を駆け足で渡る。

「ずっと友達よ。」 

こんな嘘つきな私をどうか嫌わないでいて。