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人生に影響を与えたコンテンツ

僕はコンテンツが好きです。
仕事が終わって家で夜ごはんを食べながら見るYouTubeが癒しだし、お笑いライブや演劇を見て生身の人間のエネルギーを浴びるのが生きがいです。

物よりもコンテンツ、コンテンツを通じた体験に惹かれます。

自己紹介の記事最近見て面白かったYouTubeの記事で触れたものもありますが、今回は僕が自分の人生に影響を与えたであろうコンテンツについて、それぞれ書いていこうと思います。
各コンテンツの詳細は別で記事にするものもあります。



ポケモン

・赤緑青でひらがなやカタカナ、数字を覚えた。
・赤緑~ハートゴールドソウルシルバーまで基本的に兄とセットでやっていたと思う。
・ルビーサファイアあたりの記憶が特に強く、兄と同時に買ってもらって、同時に開封して1時間後に対戦をするという遊びをやっていた。ここで「どうやったら1時間後に戦力を最大化できるか」と育てる戦略や競争心を学んだ。この時のわくわくを今でも超えられていない。
・パーティーを組む時のポートフォリオやセーフティネットを5歳くらいで学べたのはでかい。

・最初の将来の夢はゲームクリエイターだった気がする。
・小学校の時学区が端で、子どもの足で毎朝片道20-30分くらい歩いていたので、歩きながらできるゲームを考えて友達とやっていた。合計値を決めて「攻撃・防御・素早さ」を振り分けて暗算しながら戦うなど。
 ・これの派生で新しい遊びを考えてよく校庭で遊んでいた。変な鬼ごっことかよく作っていた。

囲碁

・生まれたときから6歳までやっている。
・当時はこのままやればプロを目指せるレベルと言われたらしいが記憶にない。同年代でやっている人があんまりいなかったし、相対的に自分がどのくらいの強さだったのかが全く分かっていなかった。6歳の時に大会で勝ってアマ初段になっていた。
・礼儀作法や負けず嫌い、計算、大局観、戦略を会得した記憶はある。
・頭を使うことが好きになった全ての原点だとは思う。
・続けてたらどうなったかなと思うこともあるが、プロには向いていないと思うのでこれで良かった。プロの道に行った兄はすごい。

・辞めた直接の原因は引っ越しで、ずっと通っていた教室から変わってしまって子供心に環境の変化についていけなかったのだと思う。あとはやりたいことがたくさん増えてしまって、自然と離れたのもある。
・辞めた後も稀に打つが、一度離れてからの方が自然体かつロジカルに打てているような気がして、楽しい。特に布石が好きになった。

はやみねかおる

・出会いは「いつも心に好奇心!」という本が最初だったと思う。4歳~11歳くらいまで、青い鳥文庫やミステリーを片っ端から読んでいた時期。多い年で年間300-500冊ほど読んでいたが、特にはやみねかおる作品が大好きで、夢水もクイーンもマチトムもその他も当時出ている本は全部読んだ。
・ハッピーエンドであること、ウィットに富むこと、美学を追求することの価値観を小学生時代に叩き込まれた。今でもこの3つは根底にある。
・この頃の夢は作家。自分でミステリーやショートショートを書いていたこともあったような無かったような。

バッカーノ

・兄の影響で小4-中1くらいまでどっぷりハマってた。
・群像劇の楽しさを知る。全員に思いがあって、正義は一つじゃない。
・クレアの考え方に大きな影響を受ける。特に「人は死んだらどうなるか?」をずっと考えていた時期なので、「自分が世界の中心で、死んでもまたそうなるだけ。自分は神だ」という視点に共感する。死生観はここから大きくは変わっていない。

ディズニーランド

・ゲームが好きだったので、自分が主人公になれるテーマパークが好きだった。
・攻略の対象として見ていた。一つずつ乗れるものが増えていくところや、隠れミッキーやトリビアなど自分が知っているものが増えた喜びなどを感じていた。
・毎週図書館でディズニーのガイドブックを借りて、施設名や最高時速などを覚えていた。
・ディズニー映画にはそこまで興味は無かった。とにかくTDRというテーマパーク、舞台装置が好きだった。ディズニーブロガーのマニアックな記事を毎日読んでた。
・小6-大4まで、地上波の「ディズニー」に関する番組は全部録画して見ていた。
・はやみねかおる的ハッピーエンドの思想や、ゲームっぽさがマッチしたんだと思う。
・中1で読んだ「堀井のずんずん調査」が特に良かった。くだらないことをまじめに考える楽しさ。攻略の対象としてデータを分析していく面白さ。知的にふざける、の基礎。また、文体も大きく影響を受けたと思う。小ネタ好きになるところも影響を受けている。

中学受験

・世にも珍しく完全に自分の意志で始めたと思っている。もちろん家庭環境等は大きくあるが…強要されたり仕向けられた覚えは一切ない。自分から塾に行きたいと頼んだ。
・中学受験をしたいというよりかは、新しいことを知るのが楽しくて、もっと勉強がしたかった。
・塾は体育会系で結構怖かった。怒られるのが怖くて勉強していたのもある。でも総じて良い環境だった。
・体が弱く、運動ができなかったので、頭で戦えるのは楽しかった。模試で上位になる経験も楽しかった。
・小2か小3の入塾直後に人生で初めて受けた全国模試で1位になって、相対的に自分は勉強ができるんだと気付いた。相対的学力のピークは小3だった。そこからなだらかに落ちていって今に至る。
・模試で好成績だとポイントがたまっていって、ディズニーランドのチケットに交換できるので、そのおかげでディズニーが好きになったというのもある。
・小6の受験直前の壮行会で、当時現役東大生の塾講師が、「答案用紙はお前らの舞台だと思え。今までやってきたことを思う存分発揮しろ。好きなだけ暴れていいんだ。結果がそれに応えてくれる」という言葉が忘れられない。自分はずっと病弱で運動が苦手で、内気で目立つのが何より嫌だったし、本番も苦手だったが、「頭脳で輝く場所もあるんだ」「自分にも光っていい場所があるんだ」と気づいた瞬間。ここらへんから本番に強くなってきた。今でも大切にしている言葉の一つ。
・学校説明会と文化祭を見て渋渋に惚れ込んだ。筑駒と渋渋と渋幕に受かって、渋渋を選んだ。家族以外の全員から反対されたような気がするけど、ここで偏差値とか周りの意見じゃなくて、自分の信念と直感と価値観に即して選択をしたのは本当に良かったと思う。ただ、筑駒に行ってたらどんな人生だったんだろうなぁとは今もよく考える。男子校が怖かったのと、渋渋の楽しそうな雰囲気と、鶏口牛後を意識していた。大正解だった。
・受験前日に兄にスマブラに誘われた気がするが、このくらいぶっ飛んだ兄がいてよかったと思う。人と同じことをしてはいけない。

高校生クイズ

・知の甲子園時代に小中学生だったのでどっぷりハマった。
・頭を使って戦う楽しさをショーアップして見せてくれた輝かしい舞台。
・一番好きなテレビ番組だった。
・自分でクイズ研究会を作って、攻略するきっかけになった。
・高2で全国大会に行ったとき、大量のカメラの前で1問でもミスれば即終了という今まで感じたことのないプレッシャーがあり、感覚がバグったのか、これ以降本番で全然緊張しなくなった。良い機会だった。
・ちなみにこの全国大会でQuizKnockの山本さんや雷獣のベテランちさんと一緒になっている。
・後日全国大会出場者の同窓会があり行ったが、活躍したチームか明るいメンバーじゃないと輪に入れなくて、実力が全てだな頑張ろうと心に誓った思い出がある。自分が暗いのが悪いだけだが。

渋渋

・アイデンティティを確立した。
・多様な環境の中で、「唯一無二であること」をすごく重要視するようになった。
・(ほとんど無い学校だが)模試で順位にさらされたり、友人間での立ち位置を意識するようになったり、そんな中で、「人間のすべてのパラメータを考えれば、全人類誰かは何かの1番じゃないのか」と気づく。色んな面白くて魅力的な友人の中でもそうだし、オーストラリアで短期ホームステイして全然自分を出せなかった後悔もそうだし、色んな経験があって「人と同じじゃ意味がない。他人と同じ意見なのが一番恥ずかしい。生きているなら唯一無二の存在でなければいけない」という考え方になる。一足先に唯一性を確立していた兄の存在も大きい。
・唯一無二性、ハッピーエンド、美学、究極な自己中心の先にある利他、ウィット、知的にふざける、頭を使う楽しさ、といった価値観が確立する。これらを大切にしているのは今も全く変わらない。
・あの立地にあったのに全く寄り道をしたことが無いこととか、描いていた青春をやりきれなかったんじゃないかといううっすらしたコンプレックスはある。でもこれが今の原動力にもつながっている。輝かしかった自分と、それでも手に入れられなかった青春と、それも含めて青春だったんじゃないかという気持ち。
・10回生まれ変わったら8回は渋渋に入りたいと思うくらい良い学校だったし、当時偏差値がそんなに高くなかった時点でよく筑駒じゃなくて渋渋選んだなぁと小6の自分の選択をほめたい。この選択が違ったら間違いなく全然違う人生だったと思う。
・入学後は特待生と言う学年トップ10くらいまでの生徒が学費を免除される制度に5年連続でなっていたので、結果として筑駒と同じくらいの学費で済んだはず。ありがたい。

テレビ番組

・ヘビーテレビウォッチャーの母の影響でテレビ番組をえぐいくらい見ていた。「コンテンツ」が好きになるきっかけだったと思う。
・物心ついた時~中3くらいまでかなり見ていたと思う。ドラマは1クール6-10本、ネタ番組は全て、バラエティもかなりの数見ていて、中学生の時は友達から「歩く番組表」とも呼ばれていた。
・ずっとテレビがついている生活が当たり前で、中学受験の時も大学受験の時も基本リビングで勉強していたのでテレビが付きっぱなしだった。そんな環境で勉強していたので集中力はかなり付いたと思う。
・ピタゴラスイッチ、トリビアの泉、高校生クイズ、アルクメデス、オデッサの階段、SMAP×SMAP、ひみつの嵐ちゃん、各種賞レース、クロノスなどが好きだった記憶がある。

ラーメンズ

・中3-高2くらいでどっぷりハマった。
・元々お笑いはかなり好きだったが、ウィットに富んだコント、言葉遊びに衝撃を受けた。生でライブを見られなかったことをとても後悔している。
・自分の中のクリエイティビティに大きな影響を与えたと思う。
・高3で劇の脚本を書いたとき、何かぴったりはまった気がする。ラーメンズのウィットと、はやみねかおる的ハッピーエンドと、バッカーノの群像劇と、全員を主人公にして輝かせながら話を進め、小ネタを入れまくるという理想のクリエイティブができた。今でもこれを超えられる気がしない。戒めとしてこの時作ったパンフレットを部屋の壁に飾ってある。

東大と一橋

・高1くらいまでは何も考えずに東大を志望していた。
・ただ、この頃から周囲からのレッテルと自分にギャップがあった場合に悩んでいて、「東大生なのに●●もできないの」って言われるのが怖くなった。
・茂木健一郎か誰かの東大に関する番組を見て、東大に行くことが全てじゃないだろと論じていて、その通りだなと思った。

・今の仕事ともつながっている人との出会いがあり、「東大に行ったらその仕事できますか?」と聞いて「大学名は関係ないから、自分のやりたいと思ったことができる大学に行きなさい」と言われて、フラットに考えようと思った。
・今までの自分の人生を振り返って、目の前の人を喜ばせる学問がやりたいなと思って、調べたらマーケティングが「頭を使って企画して喜ばせる」に近いと思って、日本で一番マーケティングが学べる学部を探し、一橋の商学部を志望することにした。
・もちろん学校からは少し言われたが、親身になってくれる先生も多く、良い学校だったなぁと思う。東大進学数の枠を1つ減らしたのは申し訳ないとは思うが、自分はこれで幸せ。もちろん仮に受けて受かってたかは分からないけど。絶対に現役で進学したいという気持ちも強くて、無意識に東大から逃げていたのかもしれない。
・中学受験で筑駒じゃなくて渋渋を選んだ成功体験がここでも効いてくる。偏差値じゃなくてやりたいことだよなっていう。

大学受験

・人生を変えたというほどの大きな影響はないとは思っているが、今でもよく夢に大学受験が出てくるので自分の中では結構大きな出来事だったんだと思う。
・誇張ではなく、夏期講習等含めて一切塾には行っていない。(英会話だけは別で行っていた)
 ・中学受験のイメージがあって、怒られるのが怖かった。
 ・お金もったいないなぁと思っていた。
 ・大学受験もゲームっぽく思っていて、いかに自分で効率よく攻略していくかという感じだったので、最初から攻略法を人に教えられるより、自分で見つけたかった。参考書とYouTubeで乗り切った。

・高3の6月ごろまで卓球部とクイズ研究会という2つの部活が忙しかったし、高3の文化祭に結構命を懸けていたので本格的に受験勉強をしたという意識は高3の夏ごろから。夏休みは1日12-17時間くらい勉強してたと思う。
・高3の4月の段階で、学校の先生からは、「一橋だったら今受けても受かると思うよ」と言われたので、首席合格を目指すようになる。学校の宿題をやって授業についていくだけでこのレベルになるので、渋渋は良い学校だと思う。定期テストを毎回頑張る真面目さが自分にあって良かった。
・センター試験が楽しかった。ポートフォリオを組む感覚が昔感じたポケモンの楽しさもあったし、全国同時50万人対戦というのが、マイナースポーツのクイズをやっていた自分にとって一大イベントでわくわくした。
・本番にどうやって高いパフォーマンスを出すか、というのは部活や高校生クイズから学んでいたので良かった。例えば大事なイベントの前日の夜は緊張で眠れなかったりするけど、そういう時に自分はどうやったら寝られるのか、などを考えて試す機会がたくさんあったので、試験当日も良いパフォーマンスを出せた。
・結果はセンター94%(845/900だったような)で、思うほどの出来では無かったが、結構よかった。二次試験はかなりの手ごたえはあったが、残念ながら首席ではなかった。確か3番目くらいだった気がする。合格発表の時に首席ではないことに気付いて落ち込んでしまい、新歓要員の在学生から不合格と勘違いされ誰にも勧誘されなかった。すぐに帰って友達を卓球をして、クイズをした。
・渋渋にも自分より勉強ができる人はたくさんいたし、上には上がいるなぁと思える環境で良かった。

SNSでは意図的に受験に関する発言は控えめにしているが、戦略や実情について思う所はたくさんあるのでどこかでまとめたい。受験直後に学内の後輩に配るために寄稿した「合格体験記」が確か2万字を超えていたと思う。

フリースタイルダンジョン

・高3の夏頃から始まった。
・受験期の唯一の息抜きだったかも。ハマりすぎたら危なかった。
・言葉遊びが好きだったという点から入ったが、チコカリ対R指定で完全に沼に落ちた。サンプリングの奥深さが自分の好きな小ネタなどに繋がっているのかも。
・聞き過ぎたせいか、センター試験本番の現代文の評論を読んでいるときに、頭の中でフローがついてしまって大変だった。
・大学生になってからは何回か観覧に行ったりした。
・今はちょっと熱が冷めているが、本当に好きな番組だった。高校生クイズとフリースタイルダンジョンが2強。毎週楽しみにして何回も繰り返し見ていた。

マーケティングとコピーライティング

・一橋での最初のマーケティングの授業で、「マーケティングはサイエンスとアート」という言葉に共感する。
・これ以来自分の中でサイエンスとアートの両輪を伸ばすことをずっと意識している。マーケティングって本当に面白い学問だなと思う。AI時代に働く意味とか、メモリースポーツをやる意味とかいろんなものが自分の中で整理できるようになった。
・大学の勉強がとにかく楽しくて、大学受験よりも必死に勉強した。最終的に次席で大学を卒業できた。

・広告研究会に所属していたこともあり、大1-4でコピーライティングにはまる。主に宣伝会議賞のおかげ。大学対抗のチーム戦を毎年組んでいて、2位まで行けた。ウィットの部分や人のインサイトを深堀りして想像するところ、唯一無二性と大衆性の共存などが自分の好きなものに近いクリエイティブだと思う。「これに共感できるのは自分だけだ!」と全員に思わせるのがクリエイティブだなと思った。

メモリースポーツ

・大学受験直後に出会う。
・想像力を使う部分が、妄想ばかりしていた自分にとってぴったりだと思った。
・当時は10種競技しかなかったので、センター試験みたいにポートフォリオ組めて面白そうだなと思った。
・初めて「日本一」を目指せるものだなと思った。
・ここから「日本一になるということ」について戦って、悩んだ歴史は結構語っているので割愛するが、自分の唯一無二性の部分とアイデンティティを拡張するきっかけではあった。

ダウ90000

・ラーメンズ以上の衝撃。
・同年代でここまでやれる人がいるのかという嫉妬と羨望と尊敬。間違いなく一番尊敬する同級生は蓮見さん。
・今までの自分の人生のウィット、頭を使ってふざける、楽しませる、青春の切り取り方、全ての上位互換だなと思っている。
・今までの人生で、家族や友人を除いて最も応援できている存在かもしれない。アイドルや芸人に対して「推し」や「沼」を感じたことが無かったが、ダウ90000にだけはそのような感情を抱いている。同じ時代に生まれてよかった。


以上、人生に影響を与えたコンテンツでした。
僕も他の人の人生に良い影響を与えるコンテンツを生み出せるよう頑張ります。

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