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自己紹介

平田直也です。
noteを作ったは良いものの、何も書かないのは物寂しいのでまずは簡単に自己紹介を載せておきます。気が向いたら追記増築していきます。

現在は会社員をしながら、株式会社メモアカという記憶の楽しさを普及する会社を共同創業し、COOとして働いています。
「メモリースポーツ」という記憶力を競い合う頭脳競技があり、メモアカでは記憶術を普及させるために仕事として、個人では大会やオンライン対戦で結果を出すために趣味としてメモリースポーツに携わっています。
このnoteでは記憶術/メモリースポーツに関して7割、それ以外を3割くらいで思ったことを書こうと思っています。
略歴はここまで。以下詳細。


1997年生まれ。
生まれた地は石川県、物心つくまでは広島県ですが、基本的にずっと東京都にいたので東京出身ということにしています。

物心つく前からゲームと囲碁をやっていました。自分の最古の記憶は2歳頃ですが確かにポケモン緑もやってたし、碁会所で対局をしていた覚えもあります。どちらも家族の影響です。
この2つの趣味が今の自分のアイデンティティを形成しています。

生まれた直後から病気になってしまったり、体も弱かったりしたこともあり、外で遊ぶよりは部屋で何かをすることが好きな子でした。特に、頭を使って人と競う、遊ぶ、ひらめく、新たな知識を得る、ということが好きだったように思います。

小学校に上がるタイミングで東京に引っ越しになり、囲碁を辞めました。
当時6歳の自分の棋力はアマ初段でした。同時期に兄が院生になり、後にプロ棋士になりました。ここらへんの話はどこか別で書きます。

小学生の頃に興味を持っていたのは、ゲーム、読書、パズル、クイズでした。こう見るとえげつない教育家庭のようにも見えますが、全くそんなこともなく、体が弱くて負けず嫌いな自分が戦える領域は頭を使う系だなって何となく思っていたのと、純粋に知的好奇心がものすごく高くて、それを止めないでいてくれた家庭環境だったのかなと思います。

ゲームは基本ポケモンシリーズが好きで、あとはドラクエとかスマブラとか。自分でオリジナルの遊びを考えて、友達とやるのも好きでした。
読書は青い鳥文庫を中心に本当に何でも読んでいて、月に数回図書館に行って1回30冊とか借りていたので、多い年は年間300-500冊くらい読んでいた気がします。もちろん児童向けの本ばかりではありますが。
パズルは数独やルービックキューブにはまっていました。数独は自分で作るようにもなったし、キューブは小3くらいの時に自力で6面完成できるようになってからタイムを縮めるのに勤しんでいました。
クイズは高校生クイズがとにかく好きで見ていました。知の甲子園時代です。

そんな感じで、小学生の時の将来の夢は「ゲームクリエイター」「ミステリー作家」「ロボット科学者」を行き来していたように思います。

知的好奇心が高まりすぎて、もっと多くのものを知りたい、勉強したいという気持ちになり、自分で中学受験を志願しました。変な子だったと思います。

そして中学受験をして渋谷教育学園渋谷という学校に行きました。
この中高でアイデンティティが確立したと思いますが、長すぎる話になるのでこれも詳しくは別で書きます。

中高では卓球部とクイズ研究会に所属していました。
大分病気もしにくい体になってきたので運動部に入ることができました。それでも運動への苦手意識は強かったですし、今も強いです。
クイズ研究会は高校生クイズへの憧れから自分で立ち上げて活動していました。高校2年生の時、憧れの高校生クイズの全国大会に出場することができましたが、残念ながら知の甲子園時代は終わってしまっており、これといった活躍もできずに日テレのスタジオで敗退となりました。
部活以外では文化祭がとにかく好きで、毎年企画を考えてはそれを実現するのに燃えている生活を送っていました。劇の脚本を書いたり、動画の企画を考えたり、謎解きを作ったり、「頭を使って企画を考えて誰かを楽しませる、驚かせる、感動させる」ということが好きでした。
小学生時代の「頭を使って人に勝ちたい」という所から一歩利他的な方向に進んでいますね。渋渋のおかげです。

この気持ちを最大限高められる学問は何かと考えたときに、マーケティングが一番近いのではないかと思って、商学部を志望していました。
そして一橋大学商学部を受験し、進学が決まりました。受験の話も別で書きます。

大学受験が終わった時、高校の友達を見渡してみると、自分は何者でもないという気持ちになりました。何かで一番になりたい。称えられたい。そういった欲が出てきました。
当時、自分が一番になれる可能性が近かったのがクイズでした。クイズで一番になろう、注目されよう、と思ったとき最も近い目標は頭脳王という番組でした。
18歳の春休み、大学生の間に頭脳王に出場したいなと思っていたことを覚えています。

そしてこの春休みに、クイズのために、頭脳王のために何か武器になるものは無いかなと思っていて出会ったのが記憶術でした。

とある本を読み記憶術とメモリースポーツという存在を知りました。
頭脳スポーツが好きだったこともあり、どんどんはまっていきました。当時の日本では練習方法が確立されておらず、今に比べればかなり無駄の多い練習で上達も遅かったですが、良い指導者に恵まれたおかげもあり、実力を伸ばすことができました。

クイズとメモリースポーツを両立させていく中で、クイズの努力が足りず、日本一になりやすそうだという邪な理由でメモリースポーツを頑張るようになりました。もちろん、想像力を使って他人と記憶量を競い合うという楽しさ、自由に覚え方を考えて良いという楽しさに魅了されたのも大きいです。

そして普及活動にも力を入れるようになり、Brain Sports Academyというスクールを共同で立ち上げました。自分もコーチとなり、記憶術を幅広い方々に教えるようになりました。

競技者としては日本選手権で準優勝が続くなど苦しみながらも日本一になることができました。この経緯や使った記憶術、当時の気持ちや戦略などは思い起こしながら別で書いていきます。
大学4年の時には、メモリーリーグというオンラインのメモリースポーツサイトでレーティング世界1位を取ることもできました。

指導者としても記憶術の学習体系を確立させたり、本を出版したり、6歳から60代の方までに教えたりと良い経験をさせてもらいました。

メモリースポーツの世界で活動するにつれ、トップになることの意義や普及について色々考えも深まりました。頭脳王に出たいという当初の欲求はいつしか消えていました。(途中1度挑戦しましたが全然ダメでした)
他のメディアでも様々扱ってもらえましたし、この心境の変化もまとめていきます。

そして大学を卒業して社会人になりました。ここでメモリースポーツから少し離れることになります。
大学の4年間で競技に若干燃え尽きたこともあり、ちょうどコロナ禍になって環境が変わったのもあり、かねてからやりたいと思っていた別の仕事もあり、色々重なって普及としての活動は辞めていました。競技者としても市民ランナーのような感じでごくまれに練習するという形を取っていました。

そういう生活を2年ほど続けていた折、元々作っていたスクールを法人化するという話が出てきました。これが現在自分がCOOを務めている株式会社メモアカになります。

メモアカではスクール時代の講座(メモアカclassという名のサービスに変更した)も引き継ぎつつ、新たに記憶術のオンライン学習サービスの「メモアカ」というサイトを作っていて、さらなる記憶術の普及に努めています。
現在進行形で、サービスを磨き続けています。今は、覚えることが楽しめる世界を創造することが目標です。記憶術を使うことが当たり前になり、嫌々覚えなくてはいけないものは楽に覚えられるようになり、自分の好きなことはもっと覚えられるようになり、メモリースポーツの競技人口が増えてメジャースポーツになり、記憶術を扱えることで誰もが自分の能力・頭脳に自信が持てるような社会になれば良いなと思っています。

後半尻すぼみになってしまいましたが、それぞれの節目や、自分の中で大切にしているポイントは別途記事にしていこうと思います。
以上自己紹介でした。よろしくお願いします。

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