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福は歩けば、目の前にある

2月3日、節分。
近所の神社では、古い時代からの、鬼が出てくる行事が行われました。
「古式 追儺式」
この世界の鬼は、神様の使いです。緑色の鬼、茶色の鬼がかわるがわる、やってきて、踊ります。
その際、たいまつを焚くので、大量の燻製の香りが、辺り一面に広がります。自宅からも、香りがしていました。

このたいまつの燃え残りを、玄関につけておくと、邪気が払われるということで、これを求めに何千人かの人々が行列を作ります。
今年は数年ぶりに解禁されたので、いつもより長い行列だったようで。

わたしは別の用事があったので、行列に並ぶ予定はなく、近くのコンビニで納品書を印刷し、その帰りに神社をのぞいてみたら。

行列が短くなってた!
ので、急遽後ろに並んで、見事たいまつをゲット。

厄年の人が家にいるし、あったら欲しいな程度だったのですが。

先に行った家族は、長蛇の列を見て諦めてかえってきてた。
なので、たいまつを持って帰ってきたわたしに、「なんでや!すごい!」

「君は今年、本当に持ってるなぁ」と絶賛されていますが、実は、肝心の外に出た用事は、郵便局が閉まってて未遂に終わってたのです。。

この用事がなかったら、たいまつもゲット出来てない。営業時間を間違えて書いたままの郵便局のおかげでゲットしたようなものです。笑

おかげで自転車めっちゃくちゃ漕いだ。明日も行くので、運動させられてるような気が。。?

いま、再び「反応しない練習」という本を改めて読み直しています。
ベストセラーの有名な本で、ブッダの教えを現代に落とし込んだ、実践法です。
最近、わたしの目の前を、自分の過去を否定しながら歩く人が大声を上げて通り過ぎた。「なんか反応しろ」「これを受け取れ」など、他にもいろいろ言われて、反応はしたけど、どうしても苦手意識がぬぐえなかった。

わたしはあまり人を否定したくはない。出来ればあるがまま、認めたいのだけど、「あると認める」と反応は別。
たとえばその人はいい人だけど、付き合う気になれなかったら断るでしょう。だって、父親に似ている、父母を愛している人は、「俺は父なんか嫌い」という人に、好意を抱きはしませんよね。

なんか、反応することが生理的に受けつけなかった。

人のすることに、いちいち反応するのはなんか違うし、そんな暇はない。

「葬送のフリーレン」というアニメを最近気に入ってみているのですが、フリーレンは本当に反応しない。でも、最強魔法を手に入れている。
反応しないフリーレンに魔法使いが次々とチャレンジしてくるけど、どんな強い魔法でも、防御したり、跳ね返したり。勝てないのです。

反応しないは最強、です。アニメの世界だけじゃない。

それで、改めて、「価値観の違う人への対応」について考えようとして、読み直しているのです。
お金のキャパを拡げるためには、器を大きくする。それは、知っています。
でも、行動することが出来ている人に「病気になってでも、行動させようとする」のは、メンタルの患者を増やすだけ。

でも、その危険性について医学的知識がないのに、広めようとしていた。

わたしは、行動がうまくいってない時は、いったんリセットする必要がある、と考えています。でも、現代は、人を休ませてはくれません。
行動がうまくいかないのは「わたしのメソッド」を知らないから、など、コールドリーディングのようなことを言う人が、いっぱいいます。

愛とお金と労働と奉仕、はエネルギーの循環です。
なので、「働き方」「愛し方」を間違うと、エネルギーが間違った方向に流れてしまい、枯渇し、メンタルの病になったり、動けなくなる。

答えはみんな、自分の心の中にちゃんとある、とブッダは説いています。だから、自分の外で起きてることを心の中に持ちこまないために、瞑想など、立ち止まってただ起きている事を見つめる時間が必要なんだよ、と。

わたしは、自転車に乗っている時、瞑想した気分になれます。
運転中、自分の外で起きていることを観察し続けていないと、事故が起きます。なので、例えば歩きスマホのように、自分の中に入り込んで外を見ていないと、事故が起きますよね。
うちは自動車を持っていないので、自転車になるんですが、原付免許は持っていますので、運転に必要なことは学んでいます。

なので、自分のことを考えない時間に、自転車に乗ると切り替わる。
常に周りを観察するから、寒くなった、新しいお店が出来た、ここの家は取り壊した、花が咲いた、サギが飛んでいった、子供たちが早く家に帰ってる、など常に外の情報だけを、淡々と見つめている。

なんか、こういう時間が、瞑想に近い、んだそうです。

そうすると、この出来事のように、なぜかいいことに出会う。
これがいわゆる、引き寄せ、なんじゃないかな。

で、この流れで来ないことは、必要がないんです。
だから、あるけど、関わらない。
その選択肢を奪うものの言い方をする人が、最近とても多いです。

ちなみに、無視する、拒否する、というのは、関わろうとしているカテゴリに入ってしまうのだそう。相手が「自分の言葉を気にしてくれている」という風にも取れちゃうのが、怖いところです。

その事について不愉快になるのなら、「バッサリそのことを考えるのをやめる」と、不思議と不愉快じゃなくなる。だからこその、瞑想モードみたいです。

ネットやテレビは、不必要な内容も強制的に見せるコンテンツなのが、残念なところです。雑踏のように見流すのが一番いいんだろうね。


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