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手芸で仕事をしたかった。

小さい頃から手芸をしていたことは以前書いたかもしれない。

母親のタンスにあった、レース糸と針(8号針です)と本(女性全科っていう、いまのすてハンに当たるNHKテキスト)からスタートした私の手芸人生。小6の頃には近所の子に教えてるマセガキでした。

高校で念願の手芸部に。めちゃくちゃ作品作りました。文化祭に友達と部屋いっぱい作品並べて、頑張って作ったセーターが先生が勝手に送った賞取って帰ってきたり、雑誌に投稿しまくった。当然もうオリジナル作品になっていました。メインはマスコットだったけど、ほぼオールラウンダーでした。

しかし進路で挫折。進学を親に断られ、就職先でせめて手芸を。。と思ったが不採用。高校は一度落ちると地獄です。2次募集などまったくなく、仕方なく近所のデパートに。そこから有名バイヤーになっちゃうんですが、まったく手芸の仕事につけなかったのはそうとう悔しかった。当時は今のようなオンライン作家などいませんでしたから。

そこで貯めたお金で東京へ行き、売り込みをするようになりました。作品持ってって編集部を回ること数回。全滅でしたが、そのころから絵の方で拾ってもらえるように。結局、イラストの道に進みました。

イラストを描きながら会社でもばりばり働いていました。そのころ流行っていたのはビーズとあみもの。その後テディベアと衝撃の出会いを果たします。

ベア作りにはまり、絵もばりばり書き仕事もするという過酷な日々でしたが、充実していました。当時は手芸はほぼ諦めかけてました。

しかし会社を辞め絵の仕事をメインにしたら、仕事がなくなってしまいました。そこで手芸をもう一度やろうと、ヴォーグの編み物教室へ。指導していたとは思えないほどボコボコに叩かれ、基礎からやり直しです。

どうにか編み物をマスターした頃、息子の出産で体調を崩してしまいます。毎日の夜泣きで近所から虐待を疑われ、パニック障害を発症。その後2年くらい、外へ出られないほど体調を崩してました。手芸を再び始めたのは10年後。もうその頃には、インターネットの時代に様変わりしていました。

鍛えぬいた講師出の作品もネットでは酷評。どうすればよいのかわからず、いろいろな作品をやっていくうち、なぜかあみぐるみにたどり着きます。

そこから現在に至るのですが、とにかく私の人生はアップダウンが激しすぎです。いいことと悪いことが同時にやってくる。よく総合失調症にならずに済んだものです。

いままでどうしても、学生時代からの夢である手芸の仕事につけなかった。それが今、ようやく作品が売れるようになり、やっと手芸家の第一歩に辿り着いた感じです。ここまで40年かかりました。なぜこんなに苦労しなきゃいけなかったんでしょうか。でも夢は叶ったからいいか。


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