見出し画像

【ベトナム南北統一49年】近藤紘一さんとサイゴン陥落

4月30日はベトナムでは「南部解放記念日(南北統一記念日)」で祝日でした。
今から49年前の1975年4月30日にベトナム戦争が終結しました。当時の北ベトナム(ハノイ)の戦車が南ベトナム(サイゴン、後にホーチミン市)の大統領官邸に突入し、南ベトナムの政権が終了しました。共産主義のハノイ側がベトナム全土の政権を握ることになったのです。


サイゴンから来た妻と娘

日本からホーチミンに引っ越すことが決まった11年前に、当時の上司から頂いた本が「サイゴンから来た妻と娘」でした。
著者の近藤紘一さんがサイゴン出身の奥さんと、前夫との娘の二人との東京での生活にて、ベトナムと日本のカルチャーギャップを面白おかしく書いたエッセイで、一気に引き込まれました。

1975年以前はベトナム南部での通貨がピアストルだったこと、当時は旧仏領インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)では在住外国人の共通語はフランス語であり、ジャーナリスト同士はフランス語でコミュニケーションをしていたこと、近藤さんとベトナム人の奥さんもフランス語で話していたことなど、驚いたことがたくさんありました。

サイゴンの一番長い日

上記の本が面白かったので、同著者の「サイゴンの一番長い日」を次の一時帰国で購入し読み始めましたが、そこで「現在住んでいる街ホーチミンでたった数十年前にとんでもないことが起こったんだ」ということを自覚し始めました。

近藤さんが南ベトナムで最後の1ヶ月を過ごし、サイゴン陥落の瞬間を目撃して日本へ脱出するまでを日記形式で綴る、ジャーナリズムの真髄とも言える本です。その後私がホーチミンに住んでいる間は、3月になるとこの本の1975年の同じ日のページを読み、サイゴン陥落までの追体験をしていました。段々と土地勘ができてくるのにつれて、知っている地名で砲撃戦や墜落など様々な出来事があったことに気がつき、現在の経済発展とパワフルなベトナム人の友人などと比べて胸が痛くなったのでした。

戦火と混迷の日々 悲劇のインドシナ

この後にベトナムにて、近藤さんの著作ではバンコク編とパリ編を読みましたが、カンボジアのことを書いた本があったのはプノンペンで知りました。

近藤さんが取材した、プノンペン在住で夫がカンボジア人外交官だったという内藤泰子さんという日本人女性の話です。内藤さんはクメールルージュで、プノンペンから数年かけて徒歩でタイまで脱出しますが、旦那さんと息子さん二人を途中で亡くしています。

歴史にifは無いとは言いますが、もしアメリカがベトナムから撤退しなかったらポルポト政権は生まれなかったのだろうと思います。一方で、ホーチミンであれほど多くの枯葉剤被害者(同僚にも近所にも知人にも)と接して、じゃあ何が正解だったのかというと分かりません。

サムネイル写真はトイチェニュースからお借りしています。2024年の4月30日も盛大な花火がサイゴン川で行われたそうです。
Tuoi Tre News | Ring in 2024 with fireworks above the Saigon River


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?